はじめに
2026年今年こそは世界が平和になれと祈念しましたが、正月早々、アメリカのベネズエラ事件で、その夢が消えました。世界が戦争へと走り出しました。ところで、毎年、1月10日になりますと1943年1月10日に昭南港(現シンガポ―ル港)からパプアニューギニア・ウエワク港へ派遣された陸軍航空隊の部隊がいたことを思い出します。
パプアは同港へ平成6年の12月に初めて訪れました。
その時はその事実を知らず、知りえたのは今から20年前のこと・部隊履歴表を見たときです。
ここから地獄のパプアニューギニアへ・・・と感慨深いものがありました。
1 1943年1月10日頃の南太平洋正面の戦況
● ガタルカナル島の第17軍指揮下の日本兵は補給途絶で餓死者が続出中でした。大本営は同島から徹退準備をしていました。
●東部ニューギニア戦線も補給が不十分で南海支隊ブナ守備隊は1月2日に、ギルワ守備隊はまもなく抵抗ができない戦況でした。
期待の南海支隊は、ほぼ全滅していたんですよ!
東条内閣はガ島とポートモレスビ―作戦の失敗の責任を作戦部長等に取らせました。
2 大本営陸軍部作戦部の人事異動
作戦部長は田中新一中将から綾部中将に、作戦課長は服部大佐から真田少将に、作戦班長辻中佐から?へと。
開戦時の作戦部長や課長の交代は何を意味していたのでしょうか?
陸軍もアメリカ陸軍には最早、勝てないということを意味していたのです。
海軍はミツドウエイ海戦の惨敗で100%負ける、ソロモン海戦はほぼ互角での戦果で勝利の見込みは消えていたんです。
それとアメリカ軍に暗号解読をされていたなんて3か月後の山本元帥撃墜時までしらなかつたんですよ。
それらの情報を臣民には隠し続けて1億玉砕寸前のみじめな敗戦まで戦わせました。
東条内閣と小磯内閣の政治家の大罪です。
東条内閣はマリアナ諸島失陥時に、 降伏すべきでした。
マリアナ失陥でB29による日本本土空襲はすぐそこまででした。
約1万名の在サイパン邦人は断崖から飛び降りて自から命を絶ちました。
小磯内閣はマニラ陥落時に降服する政治をすべきでした。
若い命は紙より軽く、むなしく散らされました。
ソビエト連邦を最後の頼みの綱として裏切られました。
おわりに
日本の政治家は優秀な人は暗殺され、日本国民は不幸な歴史を味わいました。
令和時代の今、世界は戦争へと傾いているようです。
日本国の平和維持のために国民は勉強・勉強・勉強・頑張る必要があります。
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