戦後の日本人は、ほとんどの人が貧乏だった。
しかし、敗戦という絶望的な環境を乗り越え、高度経済成長という「アジアの奇跡」を起こし、現代のような繁栄を築き上げた。当時、中学生は「金の卵」と言われ、田舎の子ども達は中学を卒業すると、集団就職で、ブルートレインに乗り、大阪、名古屋、東京を目指した。高校も会社に勤めながら、夜間高校に通った人が沢山いた。まさに映画「三丁目の夕日」そのままだった。
当時は貧乏でも夢があった。希望があった。だれもが「何くそっ!」と思って頑張れた。明日は今日よりも、来年は今年よりも良くなると信じられる時代だったのだ。
今は当時と比べたたら信じられないほど、物質的には豊かだ。しかし、夢や希望が溢れていない。将来に対する不安に、誰もが怯えている。物質的な豊かさに溺れた人々が心を失い、自らの自己実現だけに猛進しているようにも映る。
これではいけないのだ。後世の人たちのためにも、勇気ある行動と情熱で、国民に正しい道を指し示し、新たな日本のビジョンを描ける「誠の政治家」が、また、日本が継続的に繁栄していくためにも、財界にも松下幸之助のような「真の事業家」の登場を我々は待ち望んでいる。
日本人は本来、賢い民族である。正しいこと、間違ったこと。その判断さえ出来れば、今の迷妄を打ち破るエナジーとなるだろう。

その胎動はすでに始っているのだ。





野球、ごめんね
作者不明

幼い頃に父が亡くなり、
母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で
生計を立てていた。

それでも当時住んでいた土地は、
まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、
クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、
母が勤め先からプロ野球のチケットを
2枚もらってきた。

俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより
少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、
チケットを見せて入ろうとすると、
係員に止められた。
母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。

チケット売り場で
一人1000円ずつ払って
チケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか
持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に
「楽しかったよ」と言ったら、

母は
「母ちゃん、バカでごめんね」
と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた
貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。

新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になった。
結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。

そんな母が
去年の暮れに亡くなった。

死ぬ前に一度だけ目を覚まし、
思い出したように

「野球、ごめんね」

と言った。

俺は「楽しかったよ」
と言おうとしたが、

最後まで声にならなかった。


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子どもの絵が世界で唯一のアートに生まれ変わる。


病というのは残酷である。
事故や老衰を除くと、人間はあの世に旅立つ時、なんらかの病気を患い死に至る。最初に言ったように残酷のようだが、これも自然の摂理のひとつだろう。
私たち人類の歴史は病気との戦いでもある。そしてペストやコレラ、インフルエンザのようなウイルスを媒体とする病気は、ずいぶん克服して来た。しかし近年の新たなる病、HIVや新型インフルエンザは、世界中の学者が治療薬の開発に凌ぎをけずっている。
また生活習慣病と言われる糖尿病や数々の疾患が、私たちの節度を越した生活態度に鞭を振るう。
私も最近、白内障の手術をした。たった5分間の手術で、真っ白な視界になりつつあった目が正常にもどった。目にメスを入れるなんて、肝が冷えるような恐怖感があったが、実際は手術中、何にも見えなかったし痛みもなかった。近代医療の進歩をこの身で知った時だった。
それでも病は時として、私たちの理性に強烈な揺さぶりをかけてくる。時には家族に大きな負担をかけ、経済的にも普段の生活も圧迫される。そして、あらゆる計画が崩れていく。しかし、そういう時こそ、精一杯の理性と感性を研ぎすまし「絆」というものを真剣に考えて欲しい。
あなたは誰から生まれたのか。あなたを大きくしてくれた人は誰なのか。そして惜しみなくあなたを愛してくれた人は誰なのか。あなたにとって大切な人は誰なのか。真正面から考えてみるんだ。

本当に怖いのは、病は時として
私たちの理性と感性を鈍らせることなのだ。






認知症の母の日記
作者不明


母が認知症になった。

施設には入れずに、
自宅で介護を続けてきた。
施設の見学には行ったが、
施設のことが詳しく分かれば分かるほど、
母をそこに入れることが不憫に思えた。

3年後。
懸命な介護にもかかわらず、
母の認知症は進んだ。
その頃には私も介護に疲れ、
少しのことでイラつくようになっていた。

ある日、
家の庭に野良猫がやってきた。
母は猫を指差し、
「あれは何だい?」と訪ねてきた。
私は「あれは猫だよ。」と、
少し冷たく答えた。

母は1分もしないうちに
私に訪ねた。
「あれは何だい?」
「母さん。さっき言ったろ?
あれは猫だよ。」
私は少しイライラしていた。
母はまたすぐに言った。
「ねぇ、あれは何?」

私は感情にまかせて母を怒鳴った。

「母さん!何度も言ってるだろ!
あれは猫だよ!!
分からないのかよ!!」
母は恐れるような眼で私を見つめ、
それからは黙っていた。

それからすぐに、
私は母を施設に入れることにした。

母の荷物をまとめるために
部屋を整理していると、
古いノートが何冊も出てきた。
パラパラとめくって中身を見ると、
それは母の日記で、
私を産んでから数年間、
毎日のように書かれたものであった。

私はハッとした。
それを読んでも母を施設に入れる
気持ちは変わらないと思ったが、
なんだか申し訳ない気持ちになって、
なんとなく読み始めていた。

内容はありふれたもので、
『私が初めて〇〇をした。』
というようなことがほとんどであった。

私は大した感動をすることもなく
1冊目を読み終えると、
2冊目の日記を手に取り、読み始めた。


6月3日。
もうすぐ4歳になる息子と
公園に行くと、1羽のハクセキレイが
目の前に飛んできた。

息子は「あれは何て言う鳥?」と、
私に何回も何回も訊いてきた。
私はその度に
「あれはセキレイって言うんだよ。」と、
言って息子を抱きしめた。

何度も訊いてくれることが、
私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。
この子が生まれてきてくれてよかった。

ありがとう。


読み終わった私の目には涙があふれ、
母のもとに駆け寄り、
やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。

母はそんな私を
ただやさしく撫でていた。




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子どもの絵が世界で唯一のアートに生まれ変わる。


女は偉大である。
別にヨイショをしている訳ではない。私にとっては事実だからだ。
女は現実を受け入れ、それに対応する能力は男の何倍もある。特に母という存在になった時から、子どもに対して惜しみなく与える愛には頭が下がる。男ときたら、子どもの夜泣きひとつでギブアップだ。
たまの休みに、街に買い物に行ったりすると、子どもを抱っこしながらショッピングするが、ごっつい腕の男でも30分と保たない。ところが不思議と女は何時間でも抱っこできるのだ。
子どもが小学校、中学校、高校と成長するにつれ、学校行事やPTA活動、部活の役員や町内会の活動、それぞれのコミュニティでのボランティア活動も、ほとんど母親が主役である。
私は特に、そいう活動が苦手で、何でも妻にまかせっぱなしだった。しかし文句のひとつも言わず、子どものために、家族のために、面倒な付き合いをパッパッとこなしてしまう。本当に尊敬してしまう。

というか、私が怠け過ぎなのかもしれない。




最高のママ
作者不明


もう10年も前の話。

妻が他界して1年がたった頃、
当時8歳の娘と3歳の息子がいた。

妻がいなくなったことを
まだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、
父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、
私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、
子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、
心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、
息子の通っている幼稚園の
運動会があった。

“ママとおどろう”だったか、
そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、
輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときに
そんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」 娘だった。

息子も笑顔で娘の手をとり、
二人は楽しそうに走っていった。

一瞬、
私は訳が分からずに呆然としていた。

隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、
お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、

「ママはもういなくなっちゃったけど、
お姉ちゃんがいるでしょ?」

「本当はパパだってとってもさみしいの、」

「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」

「それはね、パパが男の子だからなんだよ。
まぁも男の子だよね。」

「だから、だいじょうぶだよね?」

「お姉ちゃんが、
パパとまぁのママになるから。」


そう言っていたのよ。

何ということだ。
娘が私の変わりに
この家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、
流れてくる涙を
止めることが出来なかった。

10年たった今、
無性にあの頃のことを思い出し、
また涙が出てくる。

来年から上京する娘、

おとうさんは
君に何かしてあげられたかい?

君に今、
どうしても伝えたいことがある。

支えてくれてありがとう。
君は最高のママだったよ。

私にとっても、正樹にとっても。

ありがとう。



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