昨日は千葉の旭市へ行きました。
穏やかな海の前でお弁当も食べました。
普通なら気分爽快
でも、振り返ると
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友人の家の裏
友人宅1階部分は津波で流されました。
鉄骨の家なので流されなかったようですが、周りの木造住宅は基礎だけ残っていました。
震災から1カ月過ぎても残る瓦礫の山
新築のようなお家はガラスは割れたけど家はキレイに残っていました。
中身は無いけどね・・・・
昨日は集めたお見舞い金を渡しに行きました。
被災した友人の顔を見たとき泣きそうになりましたが、こらえましたよ
だって被災した友人が笑って出迎えてくれたから・・・
泣いたら悪いでしょ
友人のご家族は全員無事でした。
地震発生時
たまたま阪神淡路で被災した方と一緒にいたそうで、地震直後に携帯から情報を取り
「津波が15時30分に津波が来るから急いで避難しないと」
そう言ったそうです。
子供のころから旭に住んでいる彼女はそんなに大きな津波は来ないと思ったそうです。
でも外に出るといつもと違った光景を目にします。
海から離れた海抜が低い道路で冠水
下水が上がって来ていて異様な光景を目の当たりにし
「おかしい・・」
急いで家族に連絡し保育園に子供を迎えに行き自宅へ
自宅では弟さん、おばあちゃんが地震のテレビを見ながらお茶を飲んでいたそうです。
「急いでーーーー車に乗って!」
友人は阪神淡路で被災した方からのアドバイスで家にある簡単な食糧、毛布、水を車に詰め込み急いで小学校に避難
その時に、となりの八百屋を営むご夫婦にも声をかけたそうです。
でもそのご夫婦は
「大した津波じゃないよ」
と避難しなかったと・・・・
避難した友人は余震におびえながらも夜8時くらいに自宅へ様子を見に行きたいと・・・
津波が押し寄せてきた所から
急にがれき、車、家具類、が滅茶苦茶に散乱、暗闇の道なき道を進んで自宅に到着。
鳴り響いたままの壊れた車のクラクション、消防のサイレン。
この世とは思えない光景・・
見てしまった、八百屋のご主人の遺体。。。
(奥さんは後に遺体で発見された。)
そして情報が取れない避難所の生活。。
友人はこんな話も笑いながらしてくれた。
前向きで有難いですよ
そして私が帰ってきてからこんなメールをくれました。
「地震と津波で失ったものもありましたが、人の温かさを感じる事が出来ました。それは本当にかけがえの無いものです。」
人の温かさか・・・
希薄になった現代の人間関係。
皆が豊かになり、助け合うことも減ったんだよね~
この地震を機に人間関係を考え直そうと言ったブロガーさんがいましたが、本当だね。
現場にいって色々と考えさせられました。。。
そして、帰りには被災者のご冥福をお祈りしに関東のパワースポットへ
銚子の猿田神社でお参りして帰ってきました。
このような被害がおこりませんように・・・
RICO