日本語はわからない。
英語もわからない。
病気になり生死を彷徨いながら4か月以上にわたり日本の病院に入院。
状態が悪かったので気管切開(喉に穴をあける)もした。
今は状態が安定してきたので、喉に穴が開いているが手で塞ぐと声を発することはできる。
唯一コミュニケーションをとれるのは、たま~に来る通訳さん。
その時だけ声を発するがそれ以外の入院生活ではボディランゲージと首を振って返事をするだけ。
仕事関係者は入院当初は面会にきていたが、なかなか来ることができない。
家族も自国にいるために面会にも来ることができない。
不安だらけの入院生活。
自国の病院に転院することが決まったが、自国に帰る手続きは日本の関連会社関係者と病院関係者が進めた。
言葉が通じる自国に帰ることができるのは嬉しいが、不安が大きい本人。
移送中の急変と医療処置が必要なため、国内の移送中の付き添いに同行することになった。
成田空港から自国の病院までは奥様が付き添ってくれる。
転院する2日前、通訳さんに自国の病院に転院するまでの行程などの説明をお願いした。
転院当日、通訳さんは病院に来ることはできないと言う。
関連会社関係者も誰一人、見送りに来てくれない。
言葉がわからないので、大丈夫か不安な私。
言葉は通じなくても看護はできる。
電子辞書と翻訳した用紙を持ち出発。
転院当日、本人の不安な様子が見て取れる。
介護タクシーの車椅子に乗ることさえ、退院するのに、なぜ???と言いたそう。
車椅子のまま介護タクシーに乗るの?という素振り。
北海道の病院から空港へ。
そして飛行機で羽田空港へ。
初飛行機であった。
なぜなら船員さんだったから船で日本に来たのだった。
飛行中の急変の恐れが非常に大きかったが、物珍しそうにドキドキしながら搭乗していていたのが幸いしたのか急変もなく、無事羽田に着いた。
羽田空港から成田空港へは介護タクシーで。
介護タクシー内では指示された医療処置を。
病院を出発し、7時間後にやっと成田空港へ。
自国への出発はもうすぐ。
そして車椅子でチェックインカウンターへ。
自国の航空会社なので、本人に言葉が通じるのかと思いきや、チェックインカウンターでは日本語と英語しか通じないという。
パスポートと出国に関する必要書類を提出してもなかなかチェックインができない。
時々通訳さんに連絡しながらチェックインするのに時間がかかる。
その間、本人は不安な様子なので、途中経過を通訳さんから本人に伝えてもらい1時間もかかった。
やっと、手続きも終了し、いよいよお別れの時です。
これから先は、航空会社の方が搭乗口まで連れて行ってくれるし、搭乗口には久々に会う奥様も待っていてくれていることを通訳さんから伝えてもらい、バイバイと手を振ると、喉の穴を手で塞ぎ、最初で最後の片言の日本語で『ありがとう』と言い、大粒の涙を流した。
本人の今までの不安は、この最初で最後の片言の日本語で『ありがとう』と大粒の涙で安心に変わった。
こちらも涙が・・・
長~い長~い8時間でした。
そして奥様にも会い、成田を出発し3時間半後には自国の病院に無事に転院することができた。

