ピアノは私の大切な趣味の一つだ。ピアノを前にすると、ついその時の気分や考えていることに合った曲(即興含む)を弾き出してしまい、気づけば1時間ほど経っていることがよくある。ピアノを弾く時間は私にとって大事な自己理解・自己表現の時間であり、またヘッドホンで自分だけが聞くので人に迷惑をかけることもなくとてもいいストレス発散法にもなっている。大人になってから、早いうちからあれをしておけば良かった、これをしておけば良かったと悔やんだことがある人は多いと思うが、「もしもピアノが弾けたなら」という名曲があるように、楽器を弾いて気持ちを表現できたら…と悔やむ人も多くいるのではないかと思う。私はピアノを幼い頃から習うことがきた事にとても感謝している。幸運なことに絶対音感というおまけの能力もついてきたので、口下手な自分にはちょうど良い表現力の補助輪のような感じがしている。
人と話すことは少ないものの、ピアノにおいてはいつも何かしら新しい曲を練習している。世の中には美しい曲、心を打つ曲がたくさんあり、あれもこれも弾きたいからだ。しかし、実際にあれもこれも弾くためにはどうしても技術がいる。特に自分の満足のいく音に仕上げていくためには、指のコントロール感が本当に大事なのだ。技術が圧倒的に足りない状態で難曲に挑戦していくことは、25mプールの途中で立ってしまう人がオリンピックの競泳に挑戦するようなものだ。その曲に早く挑戦したい、その曲を弾ける自分に会いたいという早る気持ちはもちろん成長のための原動力として大切だが、その気持ちに飲み込まれずに、現実的な目線も持ち合わせなければ苦い経験をすることになる。かつて中学生の頃にショパンの幻想即興曲を自己判断で無理矢理「メチャ弾き」したことがある。自分の演奏が指で譜面を追うだけの酷いものだという自覚はあったが、「幻想即興曲を弾ける秀でている自分」を友達に見せたいという思いが強く、どうしようもなかった。もう指も耳もその「メチャ弾き」を覚えてしまっているので、私は幻想即興曲を綺麗に弾くことはもうできないのかもしれない(またリベンジしたいとは思っている)。弾きたい曲を本当に尊重するなら、我慢が大切だ。どんなことにおいても、理想の姿からは程遠い自分の姿を逃げずに直視し、着実に努力を積み重ねていくことが必要なのだなと、今ではピアノに向かうたびに感じている。アルフレッド・アドラー曰く本来の劣等感は他者と自分とを比べて生まれるものではなく、自分の中の理想像と今の自分とを比較して生まれるもので、そのような劣等感は成長を後押しするのだという。私は以前は偏差値教育や社会の競争の中で前者の劣等感を感じることが多かったように思うが、今は支えてくれる人々のおかげで競争などない隠遁生活(こう書くと禅の修行のようだ笑)を送れており、ピアノに関しては自然とアドラーのいう劣等感を持てているような気がする。思うに、本当の劣等感とは焦がれる心だと思う。
そんな私が今練習している曲を紹介しよう。二曲あり、一曲目はリストの「愛の夢」、二曲目はモーツァルトの「K545」だ。一般的に見れば大きなレベル差のある二曲なのだが、私にとってはどちらも難しい。リストの方は言うまでもないが、モーツァルトの方も、音の粒の揃い方や正確性、全体のバランス調整力が問われる、とても厳しい曲だ。両方、美しく弾きこなそうと思ったらかなりの練習が必要だと思う。少し背伸びかもしれないが、曲への敬意を忘れずに丁寧に練習したい。愛の夢に関して、色々なピアニストの愛の夢を聞いたしどの演奏も非常に素晴らしかったが、私は特に反田恭平氏の演奏が好きだ。
他に弾きたい曲としては、シューマンの献呈、ショパンのバラード1番、ブラームスの6つの小品の作品118、リストのため息、ラフマニノフの協奏曲第2番のピアノ部分…などを筆頭にこれ以上にたくさんあるが、気長にやっていきたい。