心の若さをベースに、行動するということ。先日、夜通し友達と飲んでたんですが、午前2時半に誘ったら2人来てくれました。そういう若さってステキだなぁと思いました。それだけです。まあ、なんでもいいんですけどね。
キモいの向こう側こんなことやったらキモいだろうなぁ。。。と思ってやろうとしたことをやめる、ということは誰しも経験があるだろう。というか、常識的な判断だ。しかし、それを敢えてやると本当にどうなるのかは、敢えてやらないと分からない。というわけで、私は、人に大きく迷惑をかけない限りは、敢えてやってみたい。そこに新たな気付き、価値観が生まれるかもしれない。かつて、アンガールズがキモかわいいなんて言われてブレイクした。私もキモいの向こう側を見てみたい。まあ、なんでもいいんですけどね。
「趣味:海外旅行に行く」と「趣味:マンガ」に差はあるのか海外旅行によく行く人は、色んな出会いや出来事に感動をして、豊かな人生を送っているように見える。しかし、私自身、海外旅行に行きたいかといえば、そうでもない。ご飯が合わないところには行きたくないし、不潔なところにも行きたくないからだ。色んな出会いや出来事に感動をする機会は少ないかもしれない。ただ、だからといって「豊かな人生を送っていない」かといえばそうでもない、と思う。私はマンガをよく読む。登場人物の台詞や言動にはっとして、大いに感動することがある。この感動は、色んな出会いや出来事による感動と質は違えど、その大きさはきっと匹敵していると思う。大事なのは、色々な感情(願わくば前向きな感情)を強く感じることが出来るような機会を多く持つことだと思う。その人にとってそれが海外旅行かもしれないし、マンガかもしれないし、スポーツかもしれない、ということだ。無理したり、人をうらやましがったりする必要はない。まあ、なんでもいいんですけどね。
それは社会的地位であってアイデンティティではない。「私、◯◯さんのこと「会社の先輩」としてしか見れません。だからごめんなさい。」なんていう断り方がある。これは、非常に悲しい断られ方だ。なぜならば、相手はこちらのアイデンティティを見る以前に、社会的地位や関係性だけで線引きして、こちらを拒絶しているからだ。「会社に属している」というのは、ただのステータスであり、自分がどんな人間かを表すものではない。この断り方は、こちらがどんな人間かを確認する以前に拒絶している。つまり「◯◯さんのこと、どんな人か以前に興味ありません。」と言われているようなものだ。嫌いと言われたほうが断然スッキリする。嫌いなら仕方がない。だが、無関心とあらば、そんなことすら感じることが出来ない。いてもいなくても一緒なのだ。となると非常に悲しい。実際この発言をする本人がそこまで考えているかは分からない。そこまで考えているとしたら、人間愛の無い人だなぁと思う。そこまで考えていないとしたら、ただの幼稚な人だなぁと思う。まあ、なんでもいいんですけどね。