今月誕生日を迎えて67歳になった。家族がいる子供が二人いるが、前々から子供には誕生日プレゼントはしてくれるなと言っている。父の日も同じだ。子供たちはまさに現役世代で家計はたいへんだ。そんな子供たちからプレゼントをもらって例え少しでもお金を使わせるのは忍びない。それならその日にメッセージで一言お祝いの言葉をくれれば十分だ。
でも、連れ合いは違う。金銭の問題ではないが、ささやかでもファーストフードでも一緒に食べたり、安くても喜んでくれるようなものを送りたい。が、よくよく考えてみれば自分は10年以上前に熟年円満離婚したので連れ合いがいない。プレゼントをする人もくれる人もいない。
この頃、平均寿命だけでなく健康寿命のこともよく話題になる。男性の平均寿命は81.0歳、健康寿命は72.5歳。普通に考えて自分は健康でいられるのはあと5年。まだ5年、いや5年しかないと言ったほうがよい。
だからこそ一度きりの人生、残りの人生を悔いのないように生きたい。そして穏やかにゆったりと楽しく暮らしたい。葬式代以外、預貯金は自分の贅沢やしたいことに全部使い果たす。
体は少なくとも年に一度は健康診断を受けてチェック。日常生活では飲食の節制と適度の運動。何のためにこんなことをするのかと思えば、健康寿命を少しでも延ばすためと言えるのかもしれない。なぜ健康寿命を延ばすのかと言えば、同居の母が他界するまで最低限面倒見るため、穏やかに楽しく暮らすために自分を律している。
でも穏やかに楽しく暮らすには連れ合いがいるのだとひしひしとこの頃感じる。これは間違いなく孤独感や寂しさというものが自分の心を苛んでいるからだ。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、これらを分かち合える異性の連れ合い相棒がいないことは刺さるように痛い。この苦しさから逃れる術がない。
そして今日昼過ぎに妹から自分に連絡が入った。妹は従姉妹と連絡を年に1~2度取り合っていたので従姉妹から連絡があったのだが、叔母(父の妹)が21日に他界したと。享年80歳。22日通夜、そして昨日23日告別式だったそうだ。東京の従兄弟(従姉妹の兄)が叔母側の親族に連絡したが、自分と妹に連絡がつかず、告別式には皆来ると思っていたのが、何故来ないとなり、それに気付いた従姉妹が妹に連絡して来てくれた。通夜にも告別式にも行けなかったのはもう痛恨の極みだ。叔母が他界したことは言葉にならない。亡くなった叔母は子供がなく、甥姪は6人で自分が一番の年長、自分が6人の甥姪の中で一番可愛がってくれ、大人になってからは人としてのあり方を教えてくれた人でもあった。自分にとっては人生の先生を失ってしまった。7月の中旬に電話で話したのが最後になった。でも、何年も前から病気と闘っていたのだから、もう痛みから解き放たれて安らかに眠ってほしいと思う。
来月以降、一度叔母の霊前に参らせてもらおうと思う。
生きて人生観、価値観を語り合い、楽しいこと、悲しいことが共有できる人がいることは何にも代えがたいかけがえのない幸せだと思う。今日も大切な叔母を失った。さすがに泣けてきて辛い。数日気分が重い、悪いと思う。
それでも自分は生きていく。こんなマイナス的な出来事は体より心を蝕んで老いに拍車をかける。叔母の冥福を祈りたい。合掌。