地元紙に求人広告が出たことで全区分所有者は管理組合が退職する女性事務職員Qの補充に動き出したことを知ることになった。管理事務所には電話受付簿が用意され、応募者にはGまたはDが折り返して面接時間の打ち合わせ連絡する手筈を整えた。知人の紹介で管理組合従業員に事務職員として受け入れることが内定しているSもこのプロセス上で動いてもらわなければならなかった。良くする会特にABCが管理組合の足を引っ張るために魚の目鷹の目粗を探していたからだ。
ABCはSの友人であることは知らないが管理士顧問とGと自分の知人であることは知っていて、この知人を目の敵にしていた。ABCはその知人とSが友人関係にあるとこの時に知ったら、徹底的にSの受け入れを妨害し、Sが従業員になったらなったでSに嫌がらせしたに違いなかった。そんな低次元の理不尽さからもSを守る必要があった。
1人目の応募者から面接申込みの連絡がきた。GはDと日程を予定してその応募者に面接日時を返事した。面接日を前にしてGが理事長に連絡して、今後面接などを順次行いますと報告を入れたら理事長からお任せしますと言われたと自分はGから聞かされた。自分もGとDにお願いしますと伝えていた。ところが面接当日の朝になってDが身内に急病人が出て、午後の面接に出れなくなったとGに伝えてきた。GはDの代わりに自分に同席してくれとなった。これを聞いた瞬間、身内の急病人の真偽は別としてDにやられたと思った。結局自分がGに付き添って面接官になった。本当に組合員から選任される役員というものはうちのマンションに限らずこんなものかと思った。
この1人目の男性応募者が7月21日から事務長として迎え入れるUになる。GはUの受け答えと表情に好感をもった。当初Gや管理士顧問は知人の紹介であるSをQの代わりとともに従業員責任者になってもらおうと考えていた。女性事務職員Pの従業員間不協和音問題もあったので、SにQの補充事務職員、UにPが務めている従業員責任者になってもらうことをGは考え出した。Gは管理士顧問にすぐに連絡したら顧問も同じ考えのようだった。
それにはSに従業員責任者はどうかと打診して遠慮したいという意思確認が必要。Pに8月で契約社員満了として通告し、Uに7月まで待機してもらう工夫が必要になる。昼勤務従業員体制をPQMからUSMに切り替えようとするプランがGと顧問の中で浮かんでいた。
Gと不在のDに任せた以上、自分は口出しはしなかった。自分も確かにUの表情と受け答えには好感をもったのでGにそう伝えたが、それだけでUのことがわかる訳ではないとも思っていた。従業員体制全体に及ぶ人事案件はとてもデリケートなので細心の注意を払って臨むことが必要なので危なかしさも感じていた。いずれにしてももう一度4月に集まった役員でミーティングをして確認しなければならなくなるだろうと思った。色んな人たちが絡み合っている中で個々の条件状況をしっかり把握して管理組合従業員体制に落とし込んでいくのは例え小さな組織でも緻密さと配慮を欠いてはならないのは当然のことだった。
Uの面接が終わって自宅部屋へ戻ろうとしたらGから今夜知人とSの3人で顔合わせの夕食会をする予定になっているので、自分も参加してくれないかと頼まれる。もう結局何でもかんでも自分かとDを恨めしく思ったし、もう労務のことは自分以外でやってほしかった。
夕食会に向かうまでに知人から電話がかかってきた。内容は紹介している友人Sの休暇についてだった。Gに頼んでも労務のことは自分しかわからないと思い、知人は話が早い自分に電話してきたようだった。管理組合従業員の休暇については労働基準法が定める枠内でしか休暇はなく企業として従業員にプラスアルファ―の特別な休暇制度をもっていない旨返事した。土日の定公休と年間公休が管理組合の現状より5~10日ほど増やせないかという要望だったように思う。
残念ながら管理組合はリゾートマンションの性質上、土日祝、GW、お盆、年末年始などの繁忙期こそシフトしながらの休暇取得になる。就業規則すら作成できていないのに法律で定めた休暇以外の管理組合独自の特別な休暇を雇用契約書に載せるにはよく理事会で管理人件費とからめて検討しなければならない。今すぐに従業員全体にかかわる労働条件の変更は難しいし、自分の一存でどうにかなる問題でもないと返事をした。知人は紹介した友人Sのために一生懸命だったのが痛いほど伝わってきていた。
Gの車に乗せてもらって知人とSが待つ夕食会に向かった。車の中で知人から事務職員として迎えるSについて管理組合の休暇日数について要望の電話連絡があったとGに話した。理事会で管理組合独自の特別休暇を設けるか議論して1年ほどの間に就業規則に盛り込んで作成したらどうかとGに提案した。これは黙っておくことではなかったのでGに話した。Gはこれはうちの管理組合の問題で、これからどうするのかは理事会で考えなければならない問題だと言っていた。ただ、Gは困っていた時に顧問を通じてSを紹介してくれたのはとても有り難いが、いくら友人Sのためとはいえ知人がこの時になってSの労働条件を次々要望してくるのは介入しすぎだと話していた。
余談だが、令和5年春から良くする会が管理組合運営の妨害活動を始めたせいで理事会は従業員待遇改善の議題が審議日程に載せられずまったく手つかずになった。令和7年1月になってやっと就業規則作成の理事会承認が出て専門家に依頼しているのに令和5年からなら2年以上経った令和7年7月になっても就業規則が出来上がらない。今まさに管理組合の特別休暇を盛り込んで従業員は自身の待遇改善を図る絶好の機会なのに何をやっているのか気がつきもしない。これこそ従業員は自身のために理事会に要望して真剣に取り組むべき問題なのに。
後にわかることだが、この問題も良くする会のボスAのせいで2年以上遅れることになる。令和6年秋時点でAを可哀そうな好々爺と思って、従業員はAに当たり障りのないように接している。Aのせいで従業員の待遇改善に実害が出ているのにもかかわらず、あまりにも能天気というかお人好しすぎる。
自分はAが妨害行為を主導しないようAを孤立化させマンションに居ずらくさせる対策を令和6年秋から取っていたのに、従業員は自身や同僚に害が降りかかっていないと勘違いし、自身や同僚の待遇改善を犠牲にして、これからもAに理事会や管理事務所の状況について世間話を名分に漏らし続けたりAに普通に接していけばいい。Aの意をうけた誰かに回りまわってまた待遇改善に異議を唱えられる。
休暇が増えれば従業員自身のプライベート時間がさらに増加する上、実質的に賃上げ効果が伴うのに。
Gと自分がレストランに着いたら知人とSがテーブルに座って待っていた。
以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合50」に譲ることにする。