先の戦争をどう呼ぶかを考えてみたい。

 

自分はここまで大東亜戦争と呼んできた。1937(昭和12)年の支那事変或いは自分が思っているのは1931(昭和6年)の満州事変からの日中戦争と1941(昭和16)年からの英米との太平洋戦争を合わせて大東亜戦争と思っている。第二次世界大戦はヨーロッパでの戦争も含まれるので、自分としては先の戦争を第二次世界大戦としていない。

 

ただ、これには大きな問題が1つある。満州で侵略戦争を起こしたことを正当化するため大東亜共栄圏構想を後づけ的な大義名分に掲げて東アジアに兵を進め侵略の戦果を拡大させたことで、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合は、その「戦争」の中に先の戦争で行われた侵略の事実を「自衛戦争」や「アジア諸国の独立を助けるための解放戦争あるいは聖戦」であったと隠して、太平洋戦争開戦時の1941年12月に帝国主義的な意図を込めて命名している。侵略戦争を国民から包み隠す戦争名にしたことだ。

 

終戦すぐにGHQは大東亜戦争の呼称は禁止し、ラジオ、新聞、出版などメディアに日中戦争と太平洋戦争を合わせて太平洋戦争と呼ぶように指令し現在に至っている。ひとつの見方として東京大空襲など各地の大空襲、原爆投下などから日本国民の目を逸らし主に太平洋上の島々で戦闘していたとしたいため太平洋戦争と呼称するようにGHQは指令したのではという説もある。

 

特に敗戦国としての立場から、この用語を使用することは戦争の正当化や美化につながると考えられ、戦後の歴史認識において問題視され、歴史修正主義とレッテルを貼られ非難を浴びる。今でも閣僚、政治家は辞任になり、一般人の自分でも使用を誤れば、批判や非難を浴びるかもしれない。

 

しかし、自分は断っておきたい。憲法19条は「思想および良心の自由」を保障している。これは、個人が自分の考えや信念を自由に持つことができ、国家権力によって強制されることがないことを意味する。具体的には他人や国家が個人の心の中に干渉することは許されず、自由に思考し表現する権利が保障されている。 

 

だからこれからも自分は大東亜戦争と太平洋戦争を適宜使い分けしていく。

侵略戦争としての大東亜戦争、そして沖縄地上戦、特攻、焼夷弾による主要都市大空襲、原爆投下としての太平洋戦争、これからもその真相に近づくため、そしてこの戦争で死に追いやられた人々がなぜ犠牲にならなければならなかったのかを折に触れて考えるためにどちらの戦争名使用も否定しない。歴史修正主義者でもないことも宣言しておく。

 

以降の話は次のブログ「戦争観3」に譲ることにする。

 

 

注釈

1. 帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism, Caesarism)またはインペリアリズムとは、一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策

 

2. 歴史修正主義 (れきししゅうせいしゅぎ、 英: historical revisionism)とは、 歴史の再定義や再解釈の言説を指す用語である。 一般に否定的・批判的な意味合いを込めて使用されることが多く、特に 第二次世界大戦 に関わる 戦争犯罪 ・ 戦争責任 に関わる議論で、それを否定または相対化する言説を指して歴史修正主義という用語が使用される。