戦争をまったく知らない自分は高齢者と呼ばれる年齢に現在いる。

 

当時小学生だった自分の母の記憶として「大東亜戦争(太平洋戦争)で祖父(母の父)が召集令状(赤紙)で兵にとられて死地に追いやられ満州で戦死したこと。敗戦濃厚になった戦争末期、ラジオでB29爆撃機の大編隊が紀伊水道を北上中と報じられると続いて空襲警報が鳴る。防空壕に避難し灯火管制が敷かれ、祖母や姉と体をすくめてやり過ごしていたこと。制空権を取った米軍戦闘機がはるか上空を内陸に向かって飛行していても地上にいる人を発見したら急降下して機銃掃射で射殺してくること。拾った薬きょうは交番に届けていたこと。」を自分の母から語り継がれたことが1つ。他の親族から聞いたことが2つ目。自分が十代から二十代にテレビやラジオから見聞きしたことが3つ目。広島平和記念資料館、国立沖縄戦没者墓苑、靖国神社の訪問見学が4つ目。そして戦争や歴史に関する書物や現在はネットで情報を得たこと。

 

自分の戦争観は以上のことを元に形成された。大東亜戦争(太平洋戦争)が直近の戦争なので、ここからは単に「戦争」と呼ぶ。今年は終戦80年に当たるが、なぜ敗戦と呼ばず終戦とするのか考えてみる。

 

「敗戦」は戦争に負けたことを指し、自国にとって敗北であったことを直接的に示す表現で、この言葉は敗北の事実を強調するため、非常に厳しく時に痛烈な意味を含む。一方「終戦」はより中立的で穏やかな表現。戦争が終了したことを示すものの、戦争そのものの結果について評価を避け、単に「戦争が終わった」という事実に焦点を当てる。


日本では毎年8月15日が「終戦記念日」として広く認識されている。この日に関して、いくつかの理由で「敗戦の日」ではなく「終戦記念日」という表現が用いられるようになった。


1. 戦争推進勢力にとっては「敗戦の日」、「敗戦」という言葉は自国の失敗を認めることになる。政治的に、この言葉を使用することを避けられたため、「終戦」とすることでその責任を和らげる意図があったと言われている。


2. 国民にとっては戦争の苦難から解放された日であること。 戦争を終わらせることは、戦争の悲惨さから解放され、平和な日常に戻る第一歩とされ、国民にとっては希望と再生の象徴となるため、「終戦」という言葉は、敗北ではなく、解放の意味を込めて使われることが多くなった。


3. 平和な時代への転換点を示す「終戦」という言葉は、単に戦争が終わったという事実だけでなく、平和への転換点を象徴する言葉として定着している。戦争の悲惨さを和らげ、未来への希望を示すための表現。

「終戦」という言葉は、単に戦争を終わらせた事実を伝えるだけではなく、その背景には国民感情、政治的歴史的意味、社会的影響に配慮している。戦争による悲劇を直接的に表現して苦痛を与えるのではなく、国民に対して穏やかな感情を呼び起こし、過去の責任追及を避けるためにこの言葉が選ばれたとも考えられる。このような言葉の使い分けは、戦後の日本社会において、戦争の記憶をどのように扱って未来にどう生かしていくのかという重要なテーマとして今後も議論されるべきだと思う。

では自分は「敗戦」と「終戦」の使い分けをどう考えるかを記す。

 

戦争の原因は何なのか。明治維新からの富国強兵で欧米に追い付け追い越せ国策のため国家主義軍国主義体制を強化。日本陸軍の満鉄守備駐留軍(関東軍)が日本権益拡大のため機能不全に陥っていた日本政府の統制を離れて独断暴走して1931年満州事変を起こす。蒋介石の国民軍の抵抗にあって後に1937年支那事変も起こしたが泥沼化。米国が満州の権益を狙っていたため国民軍を支援。大日本帝国憲法で軍統帥権は議会や内閣を通さず天皇にあるという欠陥抜け穴を利用して海軍の反対を押し切って陸軍は太平洋戦争を開戦する。

 

アジアで大東亜共栄圏を提唱し欧米の植民地支配を受けているアジア諸国を解放して日本が盟主になりアジア経済圏を築こうとした。確かに欧米人からするとアジア人に対等にテーブルにつかれたくないという人種差別と世界経済の一端を担われたくないという思惑はあったと思う。植民地奪取争いをしているのだから。この時期、日本における重要物資の海外依存度は石油92%(うち米国81%)、鉄鋼87%、ゴム100%、ニッケル100%等だった。当然欧米中から兵糧攻め(ABCD包囲網)にあう。

 

日露戦争を戦勝したことで満州に駐留した関東軍が陰謀を巡らして統制できない日本政府を無視して勝手に事実上侵略戦争を満州で始める。始めたがいいがどうしようもなくなり次に陸軍は英米と開戦する。

 

戦争の結果として自分の祖父は満州で戦死した。上陸した米軍との地上戦で無辜の沖縄県民に多くの無残な犠牲を強いた。特攻に赴いた多くの若者も当たり前のように祖国に殉じた。最後は広島と長崎に原子爆弾。


こんな無辜の国民を死に追いやった当時の国家主義軍国主義体制とその教育そして国際情勢が心底憎い。戦争推進勢力や自国の失敗を明確にしてその責任を忘れないためにも「敗戦」と表現すべきと思っている。一方で日本の旧陸軍のような戦争推進勢力や政治体制の犠牲になって尊い命を失った人々の神霊のことを思うと、安らかに遺族、国民を見守っていてほしいと願うと同時に国民も穏やかな感情をもって前向きに進んでいくようにするなら「終戦」になる。

 

未だに自分は悩んでいて結論はでない。今、使われている「終戦」という表現にどうしても抵抗があるということではない。

 

 

以降の話は次のブログ「戦争観2」に譲ることにする。

 

 

注釈

1. 国家主義とは、国家を「最高の価値あるもの」や「人間社会の最高の組織」と見なし、「個人よりも国家に絶対的な優位性がある」とする考え方

 

2. 軍国主義とは、軍事力を国家の中心的な要素とし、国家運営や政策決定において軍事が優先される思想や体制

 

3. 植民地とは、ある国がほかの国や地域を政治的・経済的に支配すること。 支配する国は「宗主国」、支配された国や地域のことは「植民地」と呼ぶ。 植民地の一般的な特徴には、政治的支配や経済的搾取、文化への影響、社会的・人権的抑圧などがある。