父が70歳前の頃、自分に行政へ申請する書類作成のバイトを頼んできた。名前も代表取締役社長として2年間だけ使わせて欲しいという。
もう懲り懲りだったが、保証人になることもない。資金繰りも父がする。父は逮捕歴があって表に立てない。と泣きつかれ、成功報酬も100万円別途経費父持ちという餌に目がくらんで、引き受けることになった。
自分は小さいながらも会社経営者で時間の使い方は自由にできたので、他に仕事を受けることは容易だった。
東京にある中央官庁の外郭団体が許認可申請の窓口で、月に二度のペースで申請書類作成の行政指導を受けるため、足繁く通った。
半年後に申請書類が受理され、許可が下りた。書類の厚みは12cmになっていた。成功報酬も受け取った。
1年半後、名義貸しした会社の社長を辞任した。父が後を受け継いだ。自分は自分の会社に専念した。
その後1~2年、父からは妾とその子の話を聞かなくなっていた。
いよいよ父の人生の終わりが始まった。病魔が忍び寄ってきた。
以降の話は次のブログに譲る。