遠くて苦い過去、今考えればこんな経験をする人も少ないだろう。
就活をせず、大学を卒業して、父に請われて父が一代で築いた運送会社にそのまま入社した。社長の息子、親の七光りと呼ばれるのが嫌で、現場作業から叩き上げた。
軽四ドライバー、トラック運転手、営業所責任者、業務課長、商品管理課長、物流センター長など現場の隅々まで把握しておきたかったし、従業員の気持ちを理解し、信頼関係を築いておきたかった。
次期経営者として入社以来本社事務以外すべての部署を経験した。入社して10年近く経っていた。
ここまでならよくある話。
自分が30歳を過ぎた頃、父は大きくした会社に胡座をかいて放漫経営をしていた。
メインバンクや得意先大手数社から息子である自分にと社長交代の声や圧力がかかり始める。
会社規模は本社、物流センター、直営営業所24ヶ所、下請け取引先7社、従業員数約100人、繁忙期雇い入れバイトパート約1000人。
自分は本社に入って、専務兼総務部長を拝命する。専務としての主な仕事は営業、総務部長は人事権の掌握と事件事故の処理解決。
肝心の財務会計は社長である父が経理部長と組んで、自分をかやの外に置き続けた。
なのに、会社の債務について経営陣、次期社長として銀行から連帯保証人にさせられた。
時を置かず、周囲からの圧力に負け、父が社長職を自分に譲り、代表権のある会長職についた。
早速、経理部長に命じ、2重帳簿の本書を開示させ、精査したところ、会社の経営状態は火の車と判明する。
その夜、父とつかみ合いの喧嘩となる。
父は自分で築いた会社は自分のもの、息子の自分は従業員とその家族のものと考えていて、根本的に考え方が違う。
社長職を継がせるものと継ぐもの、どちらか一方でも安易さがあれば、会社の継承は絶対上手くいかない。
いよいよ会社に致命的な打撃が入るが、以降の話は次のブログに譲ることにする。