4日間の研修が終わって、残りの連休初日は、同期とピクニックに行った。

11時過ぎに、同期たちが車で迎えに来てくれて、せっめぇ車に5人は詰め込まれ、おしゃべりしながら目的地へ。

私が住んでるところから、北に向かうと川がある。そこでいつもの同期(男)が作ってくれた、おにぎりやら卵焼きやらを食べた。きっとおいしかったんだけれど、私には味が分からなかったな。


天気は快晴で、ものすごく暑かったんだ。

私たちの他にも、たくさんの人が遊びに来ていた。家族連れやカップルが、テントやシートを持ってきて、それぞれの居場所をつくって。
子供たちはお父さんと、凧揚げをしていた。
木に引っかかった大きな凧を、みんなで救出していた。

凧が風を失って、川に落ちる瞬間を見た。とても静かに、凧は空から堕ちてきて川に入って。
「いい死に方だな」
なんて私は感心してた。でも凧は糸に結ばれて、すぐに助けられちゃってたんだ。



私たちは、バトミントンをして、キャッチボールをして、フリスビーをして。

って私以外、同期はみんな男で、力やら、運動神経やらなんやらの差を見せつけられてる気がして、私はほとんど写真係に徹していた。

ほんとはフリスビーなんて、私はしてないんだ。

それでも、きゃあきゃあ騒いでた。私含む3人で、下手な私を笑いながらバトミントンをしてる間、川へ落ちたボールを拾いに行った2人のうち1人が、突然深くなったところで溺れかけていたらしい。
「死ぬかと思った」
と言っていた。少しうらやましいと感じたけど、何がなのか分からなかった。


そういえば、私たちは呪われているのだった。
内定式の日は、1人が事故にあい病院へ。
内定者合宿の日は、別の1人が骨折にて欠席。
8月頃にはほとんどメンバーが確定していたはずなのに、初めて全員揃ったのは12月のことだった。
この日溺れかけた人は、事故でも骨折でもないまた別の人だったから、
「次は私たちかもね〜」なんて、生き残ってるもう1人と私は笑って言ってた。


広げていたシートを畳んで、次はパチンコ屋さんへ行ったんだ。適当に遊んで、帰りはまたぎゅうぎゅうに詰め込まれて、家に送ってもらう。
お弁当の同期は、骨折の同期で、私のブログに既に登場してる、例のあいつである。
初めにその子の家に送ってる途中、家にお邪魔しようなんて話になって。
鍵を上げて、玄関をあける骨折同期。入っていく他の子と、ドアを支えてくれてる事故同期。
事故同期が、
「入らんの?」
「なんか入りたくないな」と私。
「ちょっとそこらへん散歩しとくわ」なんて言って。また空気を重くするようなことをしちゃったんだ。
私は座れる段差に腰掛けて、LINEを開いたら。またザリガニの上司からLINEが来ていた。この人が苦手過ぎて、私はまた涙が出そうだった。

私のその空気を、同期たちはすぐ感じとっていたみたいで。骨折を下ろした、少し広くなった車の中は、なんだか静かな雰囲気だった。

私の家に着いた。
お疲れ
とだけいって、車を降りた。
運転ありがとう!も、気ぃつけて帰りね!も、何も言えなかった。
鍵を開けて家に入って、私は床に倒れ込んだ。酷く頭が痛かったのと、涙がとまらなかった。

ずっと我慢していた昔の癖を、久しぶりにやってしまって、左腕は微かに痛かった。それだけだった。制服が半袖だったらどうしよう、なんて思った。それから、事故ったり骨折ったり溺れたりするのが、どうか次は私であってくれと切に願った。

いつの間にか私はちゃんとお布団で寝ていて、起きたら次の日のこんな時間だった。
見た夢は、意味がわからなくて。高校の時に仲の良かった男の子と、大学の頃の素敵な女の子が付き合っているとか、知らないギャルと友だちになっているとか、なんかそんなもんだった。あのギャルは誰だ???

長く眠っていて、ふと目が覚めると、
「ああまだ生きてる」という気持ちになって、非常に残念になる。切った腕はもう知らん顔していて、太陽ももう働いていた。

私だけが
私だけが、こんなに堕落して。
こんなに苦しい?なわけないか。
最近、ごはんの味が分からなくて。
おいしいっていう機会がなくなっていて。
なんで食べるのかも分からなくなって、夜は食べなくなることが多い。
テレビも見なくなった。うるさくて眩しいものに感じる。
部屋はどんどん散らかるし、私はどんどんブスになっている気がする。

ちょっとヤバいのかもしれない、どうなっちゃうのかな。わくわく、なんてするかよ。

今日まで生きる理由だったピクニックが終わって、私にはもうがんばる理由がなくて。
希望があるならお給料日だけど、金が入ったところで、うれしくならなさそう。


心が死んできているな。
あの凧みたいに、静かに死んでいくんだ。