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Life of a soliloquy

素人音楽作家、イシカワの日記です。

今日と旅行から持ち帰ってきた、宇治の音。
平等院鳳凰堂(10円玉裏)のアイディアスケッチ。
脳内から引っ張り出してきました。

Life of a soliloquy-宇治音
かなり前になりますが
職場各位夏期休暇成果を色々頂きました。
新潟コシヒカリ美人お米ケーキ
飛騨高山さるぼぼ伝説
九州雲仙バタークッキー
写真には無いですが
浜名湖うなぎパイや
チョコラスクなんてのもありました。

お盆期間、自分はひたすら仕事。
時も盛りも過ぎた頃に京都にはいったけれども。
Life of a soliloquy-各種土産
昨日は送別会が会社近くのホテルありました。

その方は
庶務的な事を担当なさっていて
普段日々の業務の中で毎日当たり前の仕事を
当たり前のようにこなしてくれていました。
でもその「当たり前」があったから
各自それぞれの仕事に専念できたんだと感じます。
当たり前であることがどれだけ大変か
当たり前であることがどれだけ貴重なことか
彼女がいなくなった時に始めて感じるのだろう。

彼女がいるから安心して集中できたのだ
そう考えると
知らず知らずのうちに仕事のサポートしてくれてたのだ
と今になって思います。

ちょっとそんな風に感じたら
いつもより多めに酒をくらっていました。
そんな一日。
2~3年前に親しい人の臨終に際し作った曲です。
人はどこからきてどこへと向かうのか。
生きるという事はどういうことなんだろう。
死ぬという事はまた、どういうことなんだろう。
そんな事を考えながら作りました。
いまだそれらの問いに対する答えは見出せないでいますが
その人にとっては俗世のあらゆる
重圧、苦しみから解き放たれ天への廻廊を昇っていく
「よき日」なんだと感じます。
だから天空でのやすらかなる日々を祷り
天に召されるその時を華やかに送ろう
そういう思いで派手な音楽として作りました。
そういえば、湿っぽいのはいやだと、よくいっていたな。
京都音探しの旅二日目。
一日伏見の旅。
夕方五条に一旦戻り、二条へと出かける。

6.稲荷山

おびただしい量の鳥居をくぐりひたすらのぼってゆく。
生い茂る木々、鳥居に囲まれた参道。
晴れ渡り暑いはずなのに、どこか薄暗く心なしかひんやり。
鳥居の朱と木々の緑、空の青が織り成す日常離れした世界。
朱の鳥居その隙間からのぞく緑の青さ
ふと天空を見上げれば、緑の木陰に木漏れ日きらめく。
この無数の鳥居をくぐりぬけながら
参道を登ること、それ自体が祷りなのかもしれない。
彼方まで続く階段廻廊、足がくがくで息切らしながら
上りきったその先には京都一望のご褒美。
カキ氷の旨さ、思い知らされる。


7.伏見水廻廊

舟で伏見の水路を巡る。
伏見の清らかな水は良い酒をはぐくむ。
それは歴史的な水都であったことに由来するという。
そして幕末と新撰組の歴史的な地でもあり
重みある歴史がその水面、街並みに溶け込んでいる気がした。
緩やかに穏やかに水を湛える川は穏やかな時間を紡ぐが
だが、そこには紺碧よりも重く深い時の流れでもあるのだ。
何の変哲も無いかの様に存在するひとつひとつが
深い深い時の流れをもち、さり気なく日常に溶け込んでいる有様が
ここを京都と言わしめているものだと感じた。
日常の生活に溶け込んでいる、その様こそが。

8.二条にて、午後七時。

この日の夕方、日頃仲良くしていただいている、
自分にとって大切な方々と夕食をご一緒させていただく。
楽しい時の中で感じたのは、際限の無い優しさだ。
それはこちらまで優しい気持ちにさせてくれる。
僕は、いつの日か、そういう
本当の意味で優しい人間になれるのだろうか、
この世にもし、無償の愛なんてものが
本当にあるのだとしたならば
それはきっと、わざとらしくも押し付けがましくも無い
こういう自然な姿なんだろう、とふと感じた。
京都音書紀行として

1.桂川~渡月橋
駅ビル端っこ、ビックカメラで格安マウスを購入。
そのまま向こう側のホームの嵯峨野線で
嵐山、渡月橋の見える桂川川辺へ。
ここで桂川の流れを愛でつつ
お昼くらいまで音書し、ゆっくりまったりする。

2.天竜寺
国宝であり世界遺産の天竜寺
すばらしい庭園を鑑賞させていただく。
ここはひとつのお寺ミュージアム。
自然造形と信仰心がひとつとなった一種の芸術品といえる。
苔、木々、池のそれぞれがしっかり存在感をもち融合している。
迷宮のごとく広がる緑の廻廊、その先には。

3.竹林
天空まで向かうかのようにすっくと真っ直ぐに伸びる竹。
両脇には竹の壁、上を見上げれば晩夏の高い空
足元ははるか彼方まで続く竹林の廻廊
その圧倒的な存在感の前に自然のもつ途方も無い力に
無力な人間は、ただひれ伏せるしかない。
どこまでもつづく緑の双璧、どこまでもつづく緑の道。
一瞬、地表、大気と会話した気がした。

4.トロッコ
竹林を抜けたその先には嵯峨野トロッコ。
保津川くだりのルートを逆行する様に亀岡を目指す。
吹きさらしの電車、トンネル、闇の中での轟音
その先開けた視界には保津川の絶景
保津川下りの船と何度もすれ違い、双方手を振り合う。
ここぞという絶景のポイントでは運転手がサービス停車してくれる。
あんなに暑かったのが嘘のようにまるで涼しい。
やはり涼はここに確かにあるのだ。

5.鴨川
対岸に見える明かり、
私のような低所得者には一生縁のなさそうな川床、
そこにまばゆく光る明かり、暗闇の水面を幽玄に照らす。
すっかり日の落ちた鴨川に佇みながら
一千年以上も前から変わらぬ形で流れる、この川
そして夕闇の時の流れを思う。
昨日の読売新聞の記事。
レール復権と題された連載記事。
車への過度な依存を止めるために
全国の町が脱車社会を目指し
色々な取り組みを始めている、そんな感じの記事でした。
例として宇都宮市が計画している
LRT計画について触れられていました。

宇都宮は山手線規模の環状道路ができ
周辺農地の宅地化が進行した結果
中心市街地の衰退が著しいとか。
そこで中心部の大通りにLRTを通し活性化を図る計画です。

LRTを身近に利用する人間の感想としては
こんな便利な交通機関が出来て良かったなあと。
地元の人間もみんな愛着持ってまして
最近電車通勤に変えた、なんて人も多いです。
昔の路面電車のようにガタガタ、ノロノロなイメージは消え
道路の邪魔者から新交通に生まれ変わり
都市交通機能に組み込まれている感じです。
全国的に路面電車を見直し
新たに走らせる計画が持ち上がったりしてる様です。

各都市では「LRTを走らせる会」なんてのができてます。
しかし驚いたことに宇都宮には
「LRTを反対する会」なるものがあるそうで。

反対する会代表のとある作曲科の先生のコメント。

街と街と隣り合っていた時代は路面電車も意味があった。
この車時代に、無駄遣いです。

でも、それって車運転する側の意見じゃ…。
じゃあ、車運転しない(出来ない)人はどうなるの?
車運転しない奴は家に閉じこもっていろとでも?
もしこの先生が車運転できなくなる状況に陥ったとき
同じ事を声高らかに言うことが出来るんだろうか。
そもそも「この車時代に」なんて事いってる時点で
何て視野の狭い人…って感じなんですが。
このまま車依存が進んだら、
どんな事態になるのか分かってらっしゃるのか…。
きっと旧来の路面電車のイメージしかないんでしょう。

道路であれば採算取れようが取れまいが
みんなつかう道ですから、みんなで支えましょうって
じう考えてもあまり使わないだろ…て所まで
それは立派な道路が
これでもかって整備されまくってます。
一方鉄道となると、収益、収益とすぐ目くじらを立て
採算が取れない赤字路線はすぐ廃止とかいう流れに。
また道路建設規模からくらべれば
はるかに控えめな鉄道建設の方が
何故かすごく反対する声が上がります。
でもそれって何かおかしいと思うんです。
道路も鉄道も人を運ぶインフラという意味では
地域のインフラである事には変わりないわけで
住む人々の大事な財産だと思います。
ヨーロッパなんて鉄道を税金で支えてるくらい。

世界規模で見ると日本って鉄道に厳しい国ですよね。
ヤマハmidiでーた販売サイトで
mid radio playerという
視聴用の専用プレイヤーが配布されてます。
これで販売サイトの気になった曲を選択すると
このソフトが立ち上がり、約一分半
midiデータや着メロデータ
が再生されるという仕組み。
勿論購入すると
歌詞カード、ギター譜付きのカラオケ仕様で
最後まで聞けるわけなのですが。
でもこれ、そのサイトの視聴専用かと言えば
そういうわけでもなく
手持ちのファイル(midiやsmaf)も
普通のプレイヤーの様に再生できて便利。

この無料ソフトのお得と思うのは
ヤマハのソフトシンセがついてくる所。
midiファイルは音声ファイルと違って
音源がないと音はでませんから
とりあえず鳴らしたいという場合には重宝。
xp標準の音源よりはいい音してくれますし。
個人的に
昔ヤマハのシーケンサーQY700で作った
大量のファイルをSMF変換してもってますが
XPの標準音源じゃまともに再生してくれません。
で、これがあると大助かり。
QY700に搭載されてた音源にかなり近く
曲によってはmu1000で再生するより
かなり忠実。
よって本来の使い方と違う方法で
愛用している無料ソフトです。
会社帰り桜鑑賞なぞ満喫。
富山市中心部を流れる松川。
この河の両の縁に桜が沢山植えられてます。
その艶やかな姿は今も昔も変わることなく
市内では一番の名所です。
毎年そうですけど、川縁の両方に
桜のトンネルの様な格好で出来て
川縁の両方の遊歩道が
一杯に桜で埋め尽くされる
独特な空間を形成しています。
ここだけ桃色の幻想的な世界が広がります。
あの辺をふらって歩いてるだけで
現実じゃないような錯覚に襲われます。
桜って不思議です。
日本人は特に好きだって言いますが。
現実世界でささくれた心でさえも
ほんのちょっと優しくしてくれます。