彼氏が青い傘をさして、私が緑の傘をさして、二人で土砂降りの田舎道を歩いた。
微かな記憶を頼りに祖父母たちの眠る墓を探して、櫁の葉を供えて手を合わせた。
「長い間、墓詣りに来れなくてごめんなさい。私は精神病になりました。情けない孫でごめんなさい。だけど、今一緒に手を合わせてくれている良い男性と出会えたので、何とか生きていけるのだと思います。見守っていてください。」
小さな祈りを込めて。
祖父は私が小学校に上がる前に肺癌で、祖母は私が小学生の時に納屋で首を吊って死んだ。
長い坂道を登って、雑草の生い茂った私の祖父母の家だった空き家を眺めた。
雨は相変わらず止まなくて海は見えない。
私は彼氏に家の周りにあるみかん畑のほんの一部を見てもらった。
実りはまだ青くてとても小さかった。
みかん農家だった祖父母の家の周りには広大なみかん畑がたくさんある。
確か家の周りとは別に家から離れた場所にもみかん畑があり、夏休みになると農業を手伝った。
祖父母の家だった空き家に向かおうとした刹那、嘘みたいな激しさの雨が降ってきて慌てて走って車に戻った。
私は何となく家に近寄るなと祖父母に言われているような気がした。
あの日、急行列車に乗って流れる景色と窓に映る自分を交互に見ていた。
夜に底があるのなら、私は今そこにいるんだと思っていた。
車窓から眺める景色は大阪から三重の山奥へと私を攫っていく。
将来の夢も生活ももうどうでもよくなって衝動的に部屋を出た。
三重の山奥には祖父母の家があり、子供時代をよくそこで過ごした思い出の場所で、一晩眠ってから海へ身を投げようと思っていた。
しかし、最後まで詰めの甘い馬鹿な私は彼氏にしばらく失踪すると伝えてしまった。
結局は仕事を放り出して松阪まで駆けつけてくれた彼氏により私は保護された。
こんなに良い彼氏が側にいてくれるのに死にたいなんて贅沢病だ、愚か者のすることだ。
もっと苦しんでいる人がいるのに人生を舐めているんじゃないのか、私は馬鹿者だ、惨めで仕方がないや。
いや、惨めだと言える資格があるほどの痛みすらも私はきっと受けてはいないのだろう。
ただの甘えだ、怠惰だ。
車の中でずっとそんなことを考えていた。
仕事を早退して次の日の有給を取ってまで私のおままごとに付き合ってくれるという彼氏は、私を車に乗せて一緒に三重の山奥を目指してくれた。
私の祖父母の家だったものがあるというだけで、他には何もない。
そんなところへわざわざ連れて行ってくれるというのだった。
しかし長いドライブの果てに見たものは、手入れのされていない荒れた庭と木造ゆえに腐敗した空き家だった。
家の中では都会では見たことのない大きさの虫がそこら中を蔓延っていて、ふと振り向いた目線の先に蜘蛛がいて彼氏は悲鳴を上げた。
ここで一夜を明かすのは無理だという話になり、場末と表現するにも場末という言葉が気の毒に思うほどに田舎の野暮ったいラブホテルに泊まることにした。
駐車場と部屋が一体化していて海外映画に出てくるモーテルのようなところだが、きちんと下品なピンク色の文字で「宿泊7000円」と看板に書かれている。
部屋に入るなりムカデ撃退用のスプレーと目が合いさっき空き家で遭遇した虫を思い出す。
シャワーを浴びながらそれでもまだ死にたかったなと思った。
蛇口をひねって水を止める。
私は真っ当に生きることから逃げているだけだ。
精神科医は優しいから病名をくれたけれど、きっと私は自分を壊したがっているただの青二才だ。
真っ白なバスタオルで身体を拭く。
痛んだ髪の毛か死んだ魚の目からか、はたまたその両方からか水滴が滴り落ちて床を濡らす。
その日は眠れなかった。