「わたし」と「あなた」は
(「あなた」がどんな存在であろうとも)
必ず、「対等」です。
便宜上、二人の関係性に
「上」と「下」というコンセプトをあてがうことがあったとしても
(「上限関係」というコンセプトがあてがわれたとしても)、
必ず、「わたし」と「あなた」は
「対等」です。
「あなた」がどんなに「偉大な」存在であったとしても、
「わたし」という存在と
「あなた」という存在は
必ず、「対等」です。
逆に、
「わたし」がどんなに「偉大な」存在であったとしても、
「わたし」という存在と
「あなた」という存在は
必ず、「対等」です。
もちろん、
「わたし」と「あなた」には
違いがあります。
「あなた」は、「わたし」よりも、なにかにおいて秀でているかもしれません。
逆に、
「わたし」は、「あなた」よりも、なにかにおいて秀でているかもしれません。
それでも、
「違い」があっても
「能力」の「差」があっても、
「わたし」と「あなた」は
必ず、「対等」です。
~ ~ ~ ~ ~
最近、上記のようなことをよく考えます。
~ ~ ~ ~ ~
私たち人間は、
私たちとは「対等」ではない「神さま」的な存在を、
設けたがる性質を持っているようなのですよね。
「わたし」を
なにかよりも「下におく」
という傾向を持っているようなのですよね。
そして、その傾向は、どうやら、
古代の、アヌンナキによる、遺伝子改変(ハイブリッド化)時に
もたらされたものらしい。
→そのように、「バシャール」は 言っています。
下記の二つの記事は、
そのことを述べた記事です。
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