エササニの人々が 

私達に望むことは

私達ひとりひとりが 自らと 「対等な者同士」として 向き合えるようになること、

です。

 

私達ひとりひとりが

(ほかのだれでもない)自分自身と「対等な立場で」 対話できるようになることを、

エササニの人々は、

(心から)望んでいるのです。

 

 

 

「私」が

「私自身」と

対等な立場で

向き合えるようになる、

っていう表現が、

僕の胸に 

ずしん

と響いてくるんですよね。

 

 

 

 

 *****

 

 

私たちが心から望むことは、

貴方が

私たちをまったく必要としなくなる日が来ることです。

 

その日がきたとき、

私たちは 貴方と 対等な立場で 交わることができます。

 

しかしながら、そのような 対等な立場での交わりが可能になるには、

貴方の側が 扉を開ける必要があります。

私たちのために、貴方が その扉を開ける必要があるのです。

 

 

どうすれば その扉を開けることができるのでしょうか?

 

私たちが貴方と交わることを ただ望んでいるだけでは

その扉を開けることはできません。

その望みだけで、

その扉を開けることはできません。

 

(そうではなく)

貴方が、貴方自身と、対等な立場で交わりたいと望むことによって、

貴方は その扉を開けることができるのです。

貴方が 貴方自身と対等な立場で交わりたいという望みを

もっと表現することによって、

貴方は その扉を開けることができるのです。

 

 

 バシャール

 (※かなり思い切って意訳しています)

 

 

 

 

 

 

I would like to thank whoever created this meme.

I would also like to thank Bashar Communications for making the delivery of Darryl/Bashar's messages possible.
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