例えば
「ペットロス症候群」と呼ばれるようなものがある。

 

「悲嘆のプロセス」というようなものがある。

 

自らの一部分であるかのように
親しい関係性を築いていた相手が
「死んで」しまったあとに、
その「喪失感」によって 
苛まれること
を言う。

 

 

バシャールら第四密度以上の世界の住人からすれば、
親しい相手が「死んで」しまったとしても
なにも「失われては」いない。
なにも喪失されてはいない。

 

ただ

存在の形態が変わっただけ。

 

「相手」は「スピリット」として

第四密度以上のリアリティに

存在している。

 

 

第三密度リアリティの地球人たちも、
そのような「定義づけ」を
自らのものとするときが
そのうちにくるんだろう。

 

 

僕は 「いま」「ここ」で
(もう)その「定義づけ」を
自らのものと
しておきたいと思う。

 

たとえ

第四密度以上のリアリティが

いまの「僕」に

充分に知覚できていないとしても。
 

 

「相手」が

自分の肉眼には見えないところに行ってしまったとしても

なにも失われてはいないんだ。
 

いったん築かれた「絆」は

物理的な相手が見えなくなったとしても、

損なわれることはない。

失われることはない。

なぜなら、

築かれた「絆」が、愛おしいものであればあるほど、

その「絆」は、第四密度以上の領域に(非物質的な領域に)、

しっかと存在しているから。

 

得た「体験」は、決して、失われない。

体験のもとになった「物理的な相手」が

見えなくなったとしても。

 



 


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