今日は、なんとなく平太に浮かんできたことを、記します。
この社会で成長する過程で、
身に染み込んだ「常識」という考え方を、
本当に本当に書き換えるのは
時間がかかることなのかもしれない
(ま、「時間がかかる」というビリーフを持っている人にとっては、かもしれんが(笑))。
「バシャール」が語る事柄を
(新たな)「常識」として自らに定着させるには、
繰り返し・繰り返し、その事柄を自らの内に取り込んで、
じっくりじっくり味わうことが必要なのかもしれない
(これも、そういうビリーフを持っている人にとっては、かもしれんが(笑))。
んで、僕は、もち(笑)
日々の生活のかなりの部分を
「バシャール」のメッセージに浸りながら暮らしているので(笑)
子どもの頃から身につけてしまった「世界観」「常識」が
かなり「バシャール」的な方向へ
書き換わってきている感じがする。
「自動思考」が、「バシャール」的になってきている感じがする。
「バシャール」のメッセージを聞いて、
「へえ、そういう考え方もあるんだなあ、すごいなあ、面白いなあ」
と、
そのときだけの、一時的な感動(一時的な面白さ)だけに
終わってしまう(とどまる)のではなく、
「バシャール」のメッセージを聞いて、素晴らしいと思ったときに、
その素晴らしい事柄が、
「自然に自分のものとなる」まで
「それが自分自身の考えになる」まで、
その事柄を咀嚼し、消化し、吸収したいと
自分は思うんだよね。
その事柄と(その素晴らしさと)同化したいと
自分は思うんだよね。
繰り返し繰り返し、その事柄に浸り続けようと思うんだよね、
その事柄を浴び続けようと思うんだよね。
「バシャール」が伝えてくれる事柄の「全体像」は、
ひとつの例えを使うなら、
→非常に体系だった、壮大なスケールをもって描かれる
「ファンタジーの世界」
(→それ自体、ひとつの世界観で、しっかり構築されている、とても完成度の高い、
「巨大なファンタジー世界」」)
なわけですが、
僕は、その「ファンタジーの世界」を
「自分自身の世界」にしようと思っているんだよね。
(その「ファンタジーの世界(F世界)」と
「この世界(物理的リアリティ)(K世界)」とは
別々のものではなく、
「F世界」の中に「K世界」も含まれているわけですが、
「K世界」は、その「F世界」の中の、本当にごくごく小さな一部なわけです
(もちろん、小さいけれど、
めちゃんこ重要な役割を果たしているパートではありますが)。)
だから、
例えば
→「死」とは、服を着替えるようなもの
という感覚が当たり前になるように。
→木々や、自然のスピリットたちや、イルカたちとコミュニケーションをとりながら、
望むバージョンの地球へとシフトする
という感覚が当たり前になるように。
→「私は恐れというものを感じる必要がないのです」
という感覚が当たり前になるように。
自分の感覚を、書き換える(アップグレードする)ことを
したいと思うんだよね。
んで、
上に「バシャール」といっぱい書いたけど(笑)
これは、
僕自身の「ハイヤーマインド」ってことなんだよね。
「バシャール」という許可証を使って、
僕は、ハイヤーマインドと同化していっている、
ってことなんだよね(^^)