本日二つめの投稿です (^^)
「バシャールネタ」ではありません (^^)

 

 

さっき投稿したバシャールの記事は、

こっちの記事を投稿するための

前フリってかんじです (^^)

 

 

以下は

あるドラマを見ているときに、

とっしー平太に

浮かんできた「カンジ」を

言葉で綴っていったものです (^^)

 

 

 

 ~ ~ ~ ~ ~

 

 


人を好きになっちゃいけない、なんてことは、ないんだよ。
ゼッタイ、ないんだよ。


どんな相手でも。

本当に、どんな相手でも。


どうな条件下であったとしても。

本当に、どんな条件下であったとしても。

 

 

「好きになっちゃいけない相手」
なんて、
ゼッタイに、
ゼッタイに、いない。
あり得ないよ (^^)

 


どんなに、年齢が離れていたとしても。
「不倫」だったとしても。
相手が同性だったとしても。
複数の相手を好きになったとしても。
複数の相手から好かれているとしても。


だれかを「好きになる」ことを、制限しようとすることがあり得るのは、
だれかを「好きになる」ことを、「いけないこと」と言うことがあり得るのは、
単に、
ただ単に、
僕たちの、この世の中が、まだまだ「未熟(成長の途中)」だからなんだよ。
僕たちの、魂の成長が、まだまだ「未熟(成長の途中)」だからなんだよ。



ただ、


単に、


それだけ。



僕たちの世界が、成熟するにつれ、
僕たちの世界が、「ひとつ」になっていくにつれ、
「そんな人を、好きになっちゃいけない」
なんていうセリフが、
どんどん、
どんどん、
聞かれないような、
世界になっていくんだよ。


好きになることに「境界線」がなくなっていくから、
「どんな」境界線もなくなっていくから、
「嫉妬」なんていうこともなくなる。
ひとりだけ特別の存在がいてもいいし、
そうじゃなくて、
「たくさんの特別な存在」がいてもいい。
一人だけに限定しなくてもいい。
どっちでもいい。
なんでもいい。


制限が外れていけば、
「好きになる」ことのバイブレーションも上がっていく。
「好きになる」ことの質(クオリティ)も上がっていく。


相手が物質的なだけでなく、
相手が肉体だけでなく、
相手が「たましい」であることが
わかるようになるから。
たましい同士で触れ合えるようになって、
相手と自分が同じたましいであることが
わかるようになるから。


「好きになること」を
制限しようとしなくていいんだよ。

 

そうして
僕たちの世界はひとつになっていく。


本当にひとつになっていく。
 

 


 

 

 


 (そういや、ご存じない方もいるでしょうが、
僕はいわゆる「ゲイ(男性同性愛者)」で、
上記の文章は、
「おっさんずラブ」っていうドラマを(笑)
見ているときに、思い浮かんできたのでした(笑)(笑))

 

 

 

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