「平太が平太であった」
というアイデンティティ(個別性)は、
平太が
物理的存在ではなくなり(=「死ぬ」ってことね(^^))
→オーバーソウル→集合意識→オール・ザット・イズ
というふうに、
「集合的」レベル(度合い)がどんどん上がっていったとしても
決して失われることはない、
という趣旨のことを
バシャールはしばしば言います。
個人としてのアイデンティティは、
どんなに「大きな」集合的意識になったとしても、
失われることはない、と。
僕的には、
バシャールの、この説明が、
しっくりきます。
(そうじゃない説明の仕方
(=集合意識になると、
個人としてのアイデンティティは大きな意識の一部となり、
溶けてなくなる、
的な言い方)
をするエンティティもいたりするのですが。)
「(今生で)平太であった」ことは、
(ずっと)忘れたくないな、
って思いますもんね(^^)
「(今生で)貴方が貴方であった」ってこと、
(ずっと)忘れたくないな、
って思いません??(^^)
~ ~ ~ ~ ~
ひとつの存在になるということではないのです。
違いを尊ぶということです、
違いを認めるということです。
そうすることによって
貴方たちは
より高次のレベルで調和しながら共存できるのです。
それが
ワンネスを体験するということです。
その際、
貴方の個別性が
溶けてなくなるわけではないのです。
「ブレンドされる」「混ざり合う」と
私たちが言うとき、
それは、
すべての個別性が尊重され、かつ、調和している
ということなのです。
そうでなければ、
ひとりひとり異なる独自の人間が存在する根拠(理由)が
なくなってしまいます。
by バシャール