(11月3日に開催された
バシャールの公開セッションのQ&Aをきいていて
平太が思ったことです。)
イエス・キリストを表すシンボルのひとつである
「燃える心臓」
について、質問した男性がいました。
バシャールの回答をきいて
めっちゃ、
「なーるほど~~~」
「目から鱗だわん」
と思った平太でした。
カトリックの
「聖心」
って、
イエス・キリストの
「燃える心臓」
というシンボルで表されるんですね(知らんかった)。
燃える心臓は
イエス・キリストの「受難」をも表しているとも言えるけど
(槍が刺さっていたり、イバラを伴っていたりするし)
受難は、英語で「パッション」。
→なんと、バシャールの十八番の用語じゃあーりませんか。
(バシャールは、ワクワクとパッションを、ほぼイコールで用いています。)
だから、「燃える心臓」は
パッション(情熱)を(も)表しているわけだ。
(「燃えるような情熱」、ってことよね(^^))
イエス・キリストの受難と呼ばれているものは、
キリストにとって、
彼が真に(魂の奥底から)望んでいた事柄
(=バシャールの言う、情熱、ワクワク)
だったってことなんだ。
キリストは
自らの受難のあと(自らの受難によって)、
もう、人類の「罪」(=ネガティブと呼ばれるものすべて)を、
人類が体験しなくて済むような、リアリティを生み出しだのだ
(→人類の側が、そのようなリアリティをちゃんと選択するのならばね)。
キリストは、そのような次元を
(地球上の第3密度リアリティに)
つくり出したのだ。
キリストの「ワクワク」は、
さすが、スケールのデカさが、ちゃうわ(笑)
むかーしから、
なんで、「受難」って、英語で "passion" って言うんだろうって、
平太は、疑問に思っていたんだけど、
これで、一応、謎が解けたわ。
バシャール、あんがと。