飲むものも食べるものもなくなってきたことがどうして分かるんだろうというような、野暮な質問はしないことにした。
冷酒を二本飲んで、かぼちゃやらいんげんやらあさりやらを食べていたら、随分酔いが回ってきた。気がつくと、もう既に他の客も入っていて、だんだんあたりが騒がしくなってきた。栄造を独占しているわけにもいかなくなった。双賢のそばに座って、栄造に話しかける人も増えてきた。
「あなたは、えいちゃんと親しい人なんですか?」といきなり隣の男性に話しかけられて、双賢はビクリとした。孤独な時期が長く続いていたので、見知らぬ人にいきなり話しかけられるということが、この頃ついぞなかっただめだ。しかも相手はネクタイを締めた、立派なサラリーマンのようだ。
「いえ、親しいわけでも──」と言いかけると、栄造がいきなり
「親しいよ。わしらはまるで家族のように親しい」と遮った。
「家族のようにって、息子さんですか?」
「わしには息子はいないが、この人ならきっといい息子になってくれるだろう」
双賢は飛び上がるほどに嬉しかった。栄造は彼のことを真実の彼氏どころか、結婚相手になってもいいと認めてくれたのではないか。
他に人がいる所で、国からお金を貰っているとも言えず、栄造の顔を見つめていると、隣のサラリーマンがいきなり双賢の肩を叩いて、
「いいじゃないですか」と大きな声で言った。
何がいいのか分かったような、分からないような気分で、彼は隣のサラリーマンを見つめた。
体の小さい、すばしっこく頭の回転しそうな感じの男だった。年は双賢とあまり変わらないように見えた。
四角なフレームの眼鏡の中央を押さえて位置をしっかりさせると、
「ぼくなんか、性根が腐ってるから、もう来るな、なんて言われるんですよ」と男は言った。
「そんなことを?」と双賢は驚いて男に向かい、そして栄造の方を見た。
「ぼくなら、そんなこと言われたら、泣いてしまいます」
「おっ、いいね、泣いてしまいます、か。そういう正直なところが、えいちゃんのお気に召したんだよ。ぼくなんか、もう社会に擦れてしまってるから、泣いてしまいますなんて言葉言えなくなったね」
「言ってるじゃないか、いつも」と栄造が薄笑いを浮かべながら言った。
「わしが何かちょっと辛い批評でもしたら、すぐに、泣いてしまいますよ、なんて言うじゃないか。その癖あんたは泣いたことなんか一回もない。所詮不正直な男だ」
「そんなひどいことを……。初対面の人がいる前でそんなひどいことを言われたら、ぼく──」
「泣いてしまいます、だろ?」
「だって、えいちゃんは目が見えないんだから、ぼくが泣いてるかどうかなんて、分からないじゃないですか」
「そんな心ない言葉を使うから、あんたは駄目なんだ。だが、駄目な方が世の中渡っていくのは楽だからな。あんたは楽だろう、毎日?」
「楽じゃないですよ、毎日、毎日、馬車馬のように働いて、もう過労死寸前ですよ」
「また、そんな不謹慎なことを言う。そんなことを言っていて、立派に社会人でございっていう顔をしてるんだ、こういう奴らは。なあ、丸井君」
「丸井君っていうんですか、へえー、面白いですね、ぼくと反対だ。ぼくの名前は角田というんです。ね、反対でしょう? マルとカクで反対。丸井さんは全然太っていないのに丸井さんで、ぼくは、全然角ばっていないのに角田なんです。まあ、ぼくは小柄ですが、性格は角ばっているかも知れませんがね。角ばってるというより、尖っているんですかね」
そう言って角田は大きな声で笑った。
「その尖った所で人を傷つけてはいかんぞ」と栄造は注意した。
「ぼくは、そんなに悪い人間ですか? これでも善良な市民のつもりなんですがね」
「善良な市民なら、毛利君をそそのかすことはやめて欲しいな。真実はもう怖いと言っておるぞ」
「ぼくはそそのかしてなんかいません」と角田は片手を目の前で振って否定した。
「真実さんのことは諦めろといつも言っているんですよ。でもあいつはそんなこと聞く耳を持ってないんです。こっちだって厄介なんです。うちの会社の社員になったから、無視も出来ないでしょう。それで、『社長!』なんて呼ばれると、話を聞くはめになる。仕事の話なんかてんでしないんです。みんな真実さんの話なんです。あの男、危ないですよ。早く警察に相談した方がいいですよ」
「警察に相談しなければならないような人間を、あんたはどうして雇っているんだ?」
「いや、役に立つんです、そういう粘着質なところが。他の社員が簡単に諦めるような案件でも、あいつなら何とか片付けてくれる。これは一種の才能ですね」
「借金の取り立ての才能か。そんな才能なんか、わしになくてホッとしているよ」と栄造は顔を歪めた。