中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

「何してんねんや?」と訊ねられたが、ぼくは何とも答えなかった。

 望太郎はぼくの顔と手と石ころを見て、

「要するに、お前は今暇なんやな」と結論づけた。

 ぼくはやはり何とも答えず、ニヤニヤ笑っているばかりだった。

「俺の家に大学生の叔父さんが泊まってんねん。いいやろう」と自慢する。

 大学生というものがあることは知っていたが、大学生本人と会ったことはない。その人が叔父さんであり、自分の家に泊まっていることは凄いことなのだろう。

 しかし何も答えなかった。

「おさむも会いたいやろう?」と訊ねる。

 正直言って全く会いたくはない。知らない人に会って、一体何が楽しいのだろう。

「会いたくない」とも言えず、微妙な顔をしていると、

「遠慮せんでええ。会いたいんやったら会いたいって言うたらええねん」と突き進んで来る。突き進んで来る人に対しては従うより他に仕方がない。それを跳ね返す知恵も度胸もない。

「それじゃあ、行こう」と望太郎は背を向けて歩き始めた。ぼくは行きたくはなかったけれど、彼について行くより他仕方がない。

 その大学生という人が、怖い人ではないことを祈っていた。その当時のぼくの周りにいる人には、怖い人が多かった。

 ぼくの家は小さな借家だったが、望太郎の家は立派な一軒家だった。だからといって別に偉いとも思わなかったが、望太郎本人が、「うちは一軒家なんやぞ」と事あるごとに自慢する。ぼくはただ「うん」と返事をするだけだ。

 一軒家だろうと借家だろうと、ぼくには関係なかった。周りにいる人たちが優しければそれでよかった。泳げない息子に向かって嫌味を言う父親でなければそれでよかった。

 玄関の前で「待ってろ」と言われたので、ぼくはおとなしく待っていた。望太郎は一人で家に入って中の人たちとしゃべっている。やがて玄関の戸が開いて、「中に入れ」と言われた。何故命令されないといけないのか分からなかった。そんな風に言われるといちいちムッとするのだが、それに対して言い返す言葉を持たないぼくは、黙って従うより他になかった。

 母の言う通り、やっぱりぼくは望太郎の家来だったのだ。

 玄関に入ると望太郎のお母さんが立っていた。シャキシャキとしゃべる元気のいいおばさんだった。

「おさむくん、いつも望太郎と一緒に遊んでくれてありがとう」と礼を述べてくれた。そんなお世辞を言ってくれる人はぼくの周りには一人もいなかったので、ぼくはそのおばさんが好きだった。

 息子の望太郎に対してはきつく言葉を放つ。いつも偉そうにしている望太郎が弱く見えて小気味よかった。今から考えると、自分の息子にはどんな親でもそんな扱いをするものなのだ。

「お邪魔します」と挨拶をして家の中に入ると、一階の奥の部屋にこちら向きになって、一人の大人の男の人がビールを飲んでいた。

 お父さんは不在のようだった。

 ぼくはその男の人に対して「こんにちは」と挨拶をした。相手もこちらを見て満面の笑みを浮かべて「こんにちは」と挨拶を返してくれた。

 きっとこの人が望太郎の言う『大学生の叔父さん』なのだろう。太い縁の丸い眼鏡をかけていた。甥の望太郎とは違って、家の中にいるのが好きな性格に見えた。

 歴戦のつわものみたいな人は苦手だが、頭と理屈ばかり使うような人には、ぼくは安心感を覚えた。

「こいつはおさむっていうねん。学校の同級生。この人は玉山連成さんというんや。頭のいい優秀な人やで」望太郎は両者を簡単に紹介してしまった。

「別に優秀な人やない」連成は酒をグイと飲んで顔をほころばせていた。

「役に立てへん人間やで。望太郎の方が元気やから、きっと役に立つ人間になる」連成は望太郎を褒める。

「望太郎は乱暴なだけで、元気とちゃうよ」望太郎のお母さんが異論をはさんだ。

「おさむくんは勉強出来るからな。お父さんもお母さんも将来を楽しみにしてるで」望太郎のお母さんはぼくを褒めた。

 ぼくはお母さんに向かって笑顔を見せたが、内心は複雑だった。

 ぼくの父や母がぼくなんかの将来を期待しているはずがない。期待していたら、あんなに罵倒したり叩いたり蹴ったりはしないだろう。