中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 

 森岡先生は気絶して眠って夢を見ていた。

 繁華街。道行く者は全て若い女性で、その女性たちは全て全裸だった。

 ああ、駄目だ、駄目だ、こんなピンチの時にこんな変な夢を見ては行けない、ぼくはなんて不謹慎なんだ、と自分で自分を叱咤したけれど、全裸の女性の数はどんどんと増し続け、森岡先生は窮屈で歩きにくくなる。

「この人、誰?」と隣にいる全裸の女性が森岡先生の方を不審げに見る。

「いえいえ、ぼくは決して怪しい者ではありません」と言い訳をする森岡先生の声はこもりがちになり、それにどうしてぼくが言い訳をしなければならないんだ、と自分で自分に突っ込み、早くこの面白いような苦しいような夢をやめたいと考えている。

 じわじわと体があったかくなり、ああ気持ちいいと思ったら、あっ痛いと叫んで目が覚めた。

 森岡先生はテーブルの上でグルグル巻に縛られていた。

 

 

 寺山修司はベッドに寝転がって考え事をしていた。

 世の中は非常に正常に進んでいるのに、ぼくだけが異常だ。こんなに異常では女教師の好意に報いることは出来ないだろう。

 それにしても女教師はどうしてぼくにこだわるのだろう? いやいやそんなことを言ってはいけない。女教師はぼくを本当に愛しているんだ。ぼくも彼女の愛にこたえないといけない。

 ないといけないなんて考えるのがいけないんだ。

 いけないいけないと考えてはいけない。

 いけないは否定の言葉で、頭の中に否定の言葉を反響させることは心の安定によくないだろう。

 よくないもいけないか?

 いやいやいけないいけないなどとーーちょっとしつこいかな。

 

 

 まいこが横断歩道を渡ろうとすると、背後から「ねえ、きみ、きみ」と声をかけられた。「モデルにならないか?」

 背広を着たいかにも怪しい感じの男だったので無視をして歩き続けると、男はまいこの歩くあとをついて来るようだった。

 まいこはおとなしい地味な子なのだが時々こういう目にあう。ある種の男を不思議に引き付ける。

 中華料理屋に入ると店主が嘗めるような目でまいこを見る。店で働き始めると客たちがまいこを見る。

 ガラガラガラと戸を開ける音がしてさっきの勧誘の男が現われる。まいこは「何にいたしましょう」とコップに水を入れて持って行く。

「やきそば大を下さい」

「はい、わかりました」

「それからこれも」と男はまいこに一枚の名刺を差し出す。「よかったらここに来て下さい。絶対後悔はさせません」

 男はそれ以上しつこく言うことなくやきそば大を食べると金を払って出て行った。

 

 

 森岡先生はニーナとマライア・キャリーの手を借りて同門激三郎の家から脱出した。

 追われても捕まらないように三人は宇宙の果てまで来た。

「わあ、わたし、宇宙の果てなんかに来れるなんて感激だわ」とマライア・キャリーが暗い虚空を見て言う。

「あなたの歌が同門激三郎たちを眠らせてくれたおかげでこうして森岡先生を助けることが出来たんですもの。そのお礼です。でもしばらくしたらとっとと出て行ってね」とニーナの目がキラリと光る。

「あら、そうなの? でもわたし帰り方知らないわ」

「出口まで送って行ってあげる」

「出口からが遠いでしょう? 何しろここは宇宙の果てなんですから」

「いえいえ、そこからすぐに梅田のロフト前に出るわ」

「梅田のロフトから家に帰るまでの道が分からないわ」

「少しくらい自立しないとね」

「あら、わたし、自立してるわよ」

「そうかしら。だったらいいわ」

 女二人が火花を散らすのを森岡先生は怯えながら見ている。

 

 

 マライア・キャリーの歌のために眠った同門激三郎の前にレールボードは立っている。右手には拳銃が握られている。

 眠っている人物を殺すのは卑怯で忍びない。でも起きていたら恐ろしくて殺すことは出来ないだろう。

 同門激三郎のかたわらに松島菜々子似が横たわっている。レールボードは彼女の顔を見て恋に落ちた。

 同門激三郎の胸に向かって発砲し、松島菜々子似をかついで屋敷を出る。

 ついに人を殺してしまった。後悔と同時に爽快な気分もあった。転落にせよ何にせよ、人生のサイコロが振られたことはワクワクする。これからぼくの本当の人生が始まる。死にたいほどの退屈な日々から逃れることが出来る。

 だからといって読者諸氏は決して殺人などはしないように。

 

 

 無職田中は今日もハローワークに行く。入り口で背広を着た男につかまって「営業の仕事をしませんか?」と勧められるが、「営業は向きません」と言って断る。だからといって自分が何に向いているのか知らない。

 今まで仕事が面白いと思ったことはない。世の中自分に合わない仕事で充満している。誰でもそう思っているのだろう。学校を出て取り敢えず就職した会社で毎日仕事をしているうちに、次第に仕事に合わせて行く。世の中の人の大部分はそうした人生を歩むのだろう。だから一度レールから転がり落ちると悲惨な人生になる場合が多い。

 ハローワークの壁は白かった。寒々とした白だ。職員たちは無表情に対応する。無職田中の笑顔はこわばる。どうしてこんな思いをするためにわざわざ毎日出掛けて来なくてはならないのか。

 この世に未来はあるのか。