「まあ、あんたには関係のない話だろう。現実にある金だけしか興味のない人間だからな」
「いえいえ、ぼくだって、趣味くらいありますよ。映画も観ますしね。ジブリの映画を観て感動することもあるんですよ、ぼくでも」
「そうか」と今度は栄造が興味のなさそうな返事をした。そしていきなり「丸井さん」と呼びかけた。
双賢は二本目の冷酒も平らげて、そろそろ引き上げようかと考えているところだった。栄造がすっかり角田の独占物になってしまったので、退屈してきたのだ。
双賢は「はい」と返事をして、茶色のサングラスを見つめた。
「あなたはどう思う、世の中には、警察ややくざより怖いものがあると思うか?」
「ぼくは警察ややくざの人とはあまり知り合いがいないので、怖いかどうか知らないのです。やくざはともかく、警察というのは市民の味方だから、怖くないんじゃないんですか?」と双賢が久しぶりに話しかけられたので、慌ててこれだけ述べると、角田が隣から、
「怖いよ、警察。ぼくなんか何にも悪いことをしてなくても、街で警察官に出会ったら、いきなり『おい、こら!』なんて言われるんですよ」と口をはさんだ。
「そんなことを言うんですか? 本当ですか? 冗談でしょ、それ」
「残念ながら冗談ではない」と栄造が発言した。
「こいつは街のならず者だから、警察に目をつけられているんだ」
「ならず者だったのは以前の話で、今は真面目に働いていますよ。税金も随分納めていますから、街から表彰されてもいいくらいです」
「そうか、そんなら明日でも警察に電話して、角田君を表彰して下さいと頼んでやろうか? 曽根さんとは親しいから、二人であんたの会社に出かけるよ。そして社員全員の前で表彰しよう。立派に更生された角田君ってね」
「更生って、一応ぼくには前科はありませんよ。更生なんかする必要ありませんよ」
「ならず者だったのに、更生する必要はなくなったのか? カントか何かでも読んで、道徳に芽生えたのかな?」
「カント? とんでもない名前が出ますね。洋物の有名人ですね。そんな有名人よりも、曽根さんは今でもここに来るんですか?」
「店には滅多に来ないよ。店に座らせてお金を払ってもらうわけにはいかないじゃないか。それでなくとも普段から負担をかけさせているのに」
「負担って、えいちゃんは曽根さんの役に立ってるんだから、当然の所得ですよ。だからその能力をぼくのためにも使って下さいよ。ぼくに任せてくれたら、えいちゃんはいっぺんに億万長者ですよ」
「億万長者になんかなりたくない。それに、警察に協力をしている身で、そんな力を金儲けに使うなんて出来ない。あんたが関わってるって知ったら、曽根さんは絶対に反対する。それどころか、わしまであんたと同じように怒られてしまう」
「えいちゃんが怒られるんですか、それは面白い」と言って、角田はまた大声で笑った。
「丸井さん、えいちゃんにスピリチュアルな力があるというのは本当なんですよ。心の目というのは、本当にあるんですよ」
「ぼくもあると思います」と双賢は角田に向かって応えた。
「あるでしょう。やっぱり分かるでしょう。そういう力を金儲けに使わないという手はないですよ」
金儲け云々という言葉は、双賢にも賛成しかねたので、首を少し傾けたまま黙っていた。すると角田は逆の隣の女性客にいきなり、
「豊泉さんはそう思うでしょう。えいちゃんみたいな力があったら、もっと儲かるのにって」と話しかけた。
「そうだね」と双賢よりも少し年上に見える、とても化粧の濃い女性が応えた。若いが、声の非常に力強い女性だった。
「商売なんだから、儲かった方がいいに決まってるけど、わたしはこれでも誠意をもって仕事をしているからね。そうそう儲けることばかり考えてはいないわよ。何しろ内川先生は、借金で苦しむわたしを救い出してくれた恩人なんだから、先生の顔に泥を塗るような真似だけは出来ないしね」
「豊泉さんは、相変わらず真面目だね。時には説教がえいちゃんよりもきついことがあるから、怖いよ」と角田は軽く笑って、さらにこう続けた。
「ここではぼくはいつも悪者なんだな。まあ、どうせ碌なことをしていない人間だから、悪者扱いにされても仕方ないけど。それにしても豊泉さん、景気の方はどうですか?」
「景気って、売り上げのこと? まあ、わたし一人が食べていくくらいの稼ぎはあるよ。それだけあったら十分だけどね」
「豊泉さんも、スピリチュアルな力を持ってるんじゃない? えいちゃんに何か、コツみたいなものを教えてもらったでしょう」
「コツって何? てこの原理の作用点と力点じゃないのよ。内川先生のお持ちになる力を、わたしごときがそう簡単に会得出来るはずがないじゃないの。それに、あなた、いつも先生のこと、えいちゃん、えいちゃんって気安く呼ぶけど、少なくともわたしの前でそんな呼び方をするのはやめて欲しいわ。内川先生は、わたしの大事な恩人なんだから。その上目がお見えにならないのに、こんなに立派に生きてらっしゃるんだから。あなたももっと人のことを尊敬する気持ちを持たないといけないわよ」
「はいはい、分かりました、分かりました、尊敬します。けれどもいくら尊敬しても、ぼくのこと弟子にしてくれないから、尊敬のし甲斐がないけどね」
「とんでもない!」と豊泉はいきなり左手でカウンターの表面を叩いた。カウンターの音にもびっくりしたけれど、元々大きな声だから、声が強迫的に心臓に響いて飛び上がりそうだった。