…  人生、終い(しまい)まで生きて身の自慢 …

 



2022年になりましたね✨

今年もどうか健やかに過ごせますように…。



今日は祖母と祖父の話です。


明治生まれの祖母は104歳まで生きた訳ですが、90才位まではすこぶる元気でした。



80代の頃に心臓のペースメーカーを入れる手術をした以外は病気らしい病気もなく、ペースメーカーも高齢だから電池交換をする事は無いだろう…と言われていたのに、電池交換するまで生きて🤭、入れ歯無しで全部自分の歯🤯

目も耳も良く、骨量も正常。老眼鏡無しで新聞や小説を読んで頭もしっかりしてました。


そんな、スーパーお祖母ちゃんだったんですが、一度、祖母の家に遊びに行った時に、祖母のベットサイドに、ホラー映画の小説「リング」が置いてあり驚き、「ば、ばあちゃん!!怖くないと!?」と思わず聞いたら


「なんも、怖くなか(怖くない)」と真顔


リングを読む高齢お祖母ちゃん、、ウケたんですけど泣き笑い(そりゃ戦争経験してますからね…)



祖母は、良い香りの香水(薔薇の香りが多かったです)を付けていました照れ祖母曰く「年寄りは臭かろーが、だけんたい(臭いでしょ、だからよ)」

そして、私と姉がいつも綺麗にしているのを褒めてくれてた。



…時は遡り



祖母の生まれは田舎の村。

その村にひとつだけある、何でも売っている「なんでも屋」が祖母の生家。

祖母と祖父は幼馴染みだったそうです。


祖父によると、村一番のお金持ちのお嬢さまで高嶺の花。

綺麗で学校の勉強も出来て、祖父はいつも祖母に負けていた。よくからかってちょっかい出していたそう🤭



祖母には年の離れたお兄さんが1人いたそうで、一人娘の祖母は甘やかされるだけ甘やかされた  "何も知らん、ただの我が儘なお嬢さんたい"


祖母の父は、仕入れだと都会に行くと芸者さんを連れて帰ってきてたそうで、祖母は幼いながらもそれが嫌で嫌で…


「うちは、いつも我が儘を言ってわざとおと様を困らせた」


ある時、父が連れてきた新しい妾さんを本宅に住まわせて、祖母の母を本宅から追い出し隣の家に追いやってしまったそうです。

そして、祖母にその新しい妾さんに「懐きなさい」と。

祖母はどうしても我慢ならず、新しい妾さんを認めなかった。


"そうだ、三味線を習ったらいい"

「おと様は、うちを芸者にしたいとか!!」

そう言って三味線を投げつけた。


妾さんが作って持たせてくれたお弁当を、学校に行く途中の田畑に投げ捨てて学校に行った。

「何でか昼になるとうちのお弁当が届けられていた」



やがて、年頃になり



祖母は親の決めた人と結婚しました。

そして、戦争が始まり、祖母の夫は戦地へ。



祖母の夫は戦争から帰ってこなかった。



そして、なんと

祖父は祖母をさらって二人は駆け落ちするのです。


祖父は、ずっと祖母を好きだった。祖母も同じく。


祖父も長男で家を継ぐ身でした。

家督は、弟に譲ったそうです。



…あの人は戦争から帰ってきた。そしてうちの事を探して、しばらく籍を抜いてくれなかった…



駆け落ちした二人に待っていたのは厳しい現実。

祖父は、しばらく絵描きの仕事(映画の看板を描いていたそう)をしたそうです。

それだけでは食べて行けず、

苦労知らずのお嬢さんだった祖母はなりふり構わず働いて働いて…家計を助けたそうです。




祖父と祖母は短歌が趣味。


優しい祖母が我が儘を言っている姿は、まったく想像できません。

顔中に深く刻まれた皺で、綺麗だったという昔の面影は見当たりません。

だけど、いつも笑っていました。



「おまえ達が全員束になっても、ばあちゃんには叶わん…」




人生、終いまで生きないと何があるか分からないという…。

二人の駆け落ちは多くの人を悲しませただろう。


だけど…貫いた愛がせめてもの詫びになるのか…。

そのお陰で、今、私は生きている。





祖父と祖母が、日本中が、必死にもがきながら生きた時代に思いを寄せて…。