昭和の大スターといえば、真っ先に出てくるであろう人物

「石原裕次郎」

なんと彼は昭和1ケタ生まれなんですね!

私の両親も裕次郎ファンでした😊

私世代(第二次ベビーブーム世代)は石原裕次郎といえば、こちらです
   ダウン

by太陽にほえろ

今見たら確かにイケメンではあるけれど(彫り深いっ)当時小学生の子供から見たら‥ただのオジサン(スミマセン💦)


母の中ではこちら
 ダウン


カッコイイ〜〜😍
こんな素敵な人が映画スターとして突如日本に現れた訳ですよ。

しかも、映画スターってだけでなく、
私生活も華やかすぎる経歴の持ち主で。
高学歴でイケメンでありながら、アウトロー。
やんちゃなのに礼儀正しいラブ

全乙女のハートを鷲掴み!

この時代、日本全国民、裕次郎ファンと言っても過言ではなかったでしょう。戦後の日本の復興を象徴する人物ですね✨


さて、私の父は料理人だった訳ですが

(よろしければこちらをどうぞ)
兄のつてを頼って、私の地方での中心都市の有名レストランに入る事になります。

そのレストランは唯一空港にも出しており、当時まだ10代だった父はそこに配属される事になったそうです。

父の話では、当時の有名人はこの空港に来ると
皆このレストランに寄っていたそうで。

高倉健や浅丘ルリ子、日活の大スターを何人も目撃したそうです。



そして、父にとって生涯忘れられない出来事が。



そう、あの石原裕次郎がついにやってきたそうです。


「忘れもしない」


石原裕次郎は、銀幕スターのオーラをまとって入ってくると、父にこう話しかけたそう。


「ここにいる従業員全員にビールを」


びっくりたまげた父は思わずこう言ったそう。


「僕はまだビールは飲めません」


「そうか!ぼうず。じゃあ、君にはジュースを」





「何人もスターは来たけれど、後にも先にもビール(父にはジュースだけど🤭)を奢ってくれたようなのはおらん!」



この出来事は、衝撃的かつ、尊敬と憧れを持って当時まだ10代だった若者の心に強烈に刻みこまれました。


‥誰もが憧れるスターなのに、まるで垣根が無いかのごとく振る舞う。

俺もこんな男になりたい。‥そう思ったよ。




‥この話は、父の病気が分かって、最後に自宅療養をしていた時にふいに聞かされました。
知らなかった!


父の歩んだ道程を、


初めて知る話ばかりで、家族とは不思議なものだ、と思いました。

何もかも知っているようで、そうでもない。





今、生きているうちに家族と話そう。
時は永遠では無いのだから。






石原裕次郎さんの墓碑には、妻まき子婦人の直筆で次のような言葉が綴られています。

美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。


Wikipediaより



そう、父の言葉を借りるならば

「石原裕次郎は男が惚れる男の中の男だ!!」





最後までお付き合い頂きありがとうございます☺️