「自分と関わる人はこういう人」
と思えばそういう人と出会っていく。
それは「赤い車を見る」と思うと
赤い車が目につきやすいのと同じこと。
出会った人がどういう人間か?
というのを考え過ぎている。
何か自分にとっての相手の存在意義を欲し、
それに縋りたい。
ただ、好き。
じゃなくて、だから好き。
なにかスペシャルにしたくなる。
なにかスペシャルな意味をつけたくなる。
恋愛の入り口からそうなる人が多過ぎる。
彼とは何かの縁があるとか、
過去世がどうとか、
お金があるとか有名だとか
学びの相手とか。
ソウルメイトとか、
ツインレイとか、
なんとか。
ただ純粋に心がときめく、
心が反応する、
興味関心があるだけでいいのに、
理由づけから入るから邪心が生まれる。
現実を
無理に理解しようとし過ぎ。
その意味とか。
その根拠とか。
考え過ぎている。
ただ、ジャストな気持ちだけでいい。
何か理由をつけなければ確信を持てないならば
それは違う。
相手が自分にとってどういう人間か?
というのを考えすぎている。
証拠を欲しがるよりも
自分の心を見る。
ただ、好き。
それでいい。
すると人に対して持つ愛がだんだんと深くなる。
2018年3月18日
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