木造維新の30年

木造維新の30年

事業用建物の木造化を国内外で実践して30余年、これからも木材を永く使う技術の普及に務めます。
https://www.youtube.com/watch?v=d16mJsGUeXY

日向の「木造維新」 30年のページです。

投資回収が早くキャッシュフローに優れた事業用建物の木造化を提案してきましたが、木造嫌いのOut-dated 建築家や建築基準法との闘いでした。

1998年の建築基準法改正時に当時国内最大の木造都市型マンションの建築許認可の申請実績があります。

30年を経てOut-dated 建築家も隈健吾氏らと入れ替わり、建築基準法も改定され維新はなって来ました。

まだまだ大学などの教育体制や国際化の遅れが目立ち、これから欧米列強を追いかけることになると思いますが、それは次の世代の皆さんの出番です。

高層ビルを木造で建てる建築記事の中に、SDGs目線がしっかりしていて、特に森林のリソースに触れ、しかも、その後の供給の問題を見越して、すでに単に木材を使うことから、育成することや、別の樹種を使うことが建築家の言葉で書かれていて、まだ日本の建築業界は遅れていることや、先進国のレベルを垣間見ることができました。

 

Long term, he believes that to counter supply issues, architects will have to think beyond wood.                                       ここまでの視点はまだ日本の建築家と木材業界には無い。 もしこの視点ができてくれば、限られた樹種と丸太品質から、リカバー率が22%程度しかないCLTに国をあげて取り組むことは無くなるし、設計と構造の知見が高まれば、万博リングのようなご祝儀価格の資源の無駄使いもなくなるでしょう。 まず今できることは「単に木を使う」から「賢く、永く使う」視点からから始めることかと思います。

 

Beyond Wood という視点から第3の構造用木材を考えたいと思います。 ボックスビームもそうですが、木材の優れた点である、CO2削減に貢献できる+加工が容易、 欠点である、 柔らかく変形しやすい+材料が大きくなると単価が急激に高くなる ことを考えて、この欠点を克服する第3の木材があります。

 

製材には直線の丸太が求められますが、樹木のほとんどは曲がっていたり枝分かれしています。仮称)第三の木材は木材の繊維性能を持ったコンポジット木質材料?になります。 

 

 

 

この製造法であれば竹などはむしろ高強度が活かされ木材の弱点の一つの強度不足を改善し鉄から木材の範囲が拡大されることも可能になります。

 

木材の多様性を受け入れることがSDGsにつながると思うのです。

 

 

冷房の中に居っぱなしはよろしくないので、毎日夕方に仕事納めの頭の転換に近所を散歩しています。

結構、古い家のおちついた空気を感じたり、面白く工夫している建物を見て歩いています。

 

設計に無駄の多い建物や、リノベすればものすごく良くなるような建物のリノベプランなどを頭に思い浮かべたり、、

昨日は、以前から面白いと思っていた小さなマンションが、なんと、取り壊していました! なんとSDGsに逆行することか!

 

住宅設計の経験から、勝手な想像をしてみようと思います。

 

最初に完成した時にオーナーは「変な色のタイル」と言われたのでしょうか? そこでいつか建て直してやろうとずーっと思い続けていたのではないかと想像します。

その気持ちに手を差し伸べ、容積率をもっとフル活用した賃貸建物ができるという現代の建築士の提案図がでてきます。 

過去30年ほどは駅から10分以上の物件ゆえ客もつきにくかったことでしょう。 また、この地域では賃貸+駐車場は必要のない地域ですし、駐車場を建物にした方が収益性が高い特殊事情もあります。

 

 不動産開発業者がいい値段をつけてくれたので、相続で手放してしまったのでしょうか?

 

だからと言って、 まだまだ現役の高いお金をかけて、資源を破壊して建てたマンションを、このタイミングで取り壊してまたワンルームマンションが建つのを、もう見たくないと思う今日この頃です。

中古の建物が市場で取引されない日本の住宅市場が維新されるのはいつになるのでしょうか?


 

そして、もう少し山手の方に行ってみると、最大手N不動産の一戸建て分譲地が長期的に広がっています。

 

 低層マンションになるのが順当なところでしょうけれど、周囲の反対もあるし、面積と売り値がうまくバランスすれば、マンションよりもエクスポージャーの少ない、リスクの小さな不動産開発が可能ですが、時間と手間がかかるので大手としては塊で売ってしまいたところでしょうけれど。 どこまで消費者に寄り添えるのか、、 

木造住宅会社と値段で折り合わず、売れないまま時間を経過させ、近所から「放置するな」と言われたら邸宅マンションにしますということで、一棟売りになるのでしょうか、、

 

 

建物を建てるために建てるというところの問題解決でしょう。

 

ミャンマーでのビル再生でのメリットを享受した設計者としては、業界がもっと知恵をもって建物オーナーに寄り添える業界を見ることはまだまだ先のようです。

梨の花が沢山咲いています。今年も実ってくれるか?

 

梅の木には実が見当たりません、、昨年の裏作なのか、花が早すぎだったか、

枇杷は実っています。

次男が中学生の時に草刈りのなかから見つけ、安全な場所に植え替えておいた自然生(落ちた実から自然に生えてきた)にも実が付いています。

 

そしてラウベの足元の斜面の土砂がどんどん流れて行ってしまうところを土留め土木作業を連休の作業としました。 娘も手伝ってくれて初日に1段目まで、2日目に上に段を重ねました。

次回以降は1.5m間隔程度で上に向かって段々にしていき家の基礎付近まで土留めをしていきます。

 

夕焼けが綺麗で、夕食は冷凍でない「生まぐろ」(チルドだと思うが) に 地酒

 

 

また、少しづつ頑張ります。

 

初の自宅アトリエでのリモートワークのテスト 11年前

まだ当時は会社の外にPCをもって出るには許可が必要な時代でしたが、木造維新の活動で太陽光発電木製架台の構造設計をしていたころでした。

 

定年退職したらここを設計アトリエにしようと考えた頃のことで、ちょうどこの翌月建築家のM氏にメンバーにしていただいた建築学会の設計コンペで受賞しています。

 

このデスクは、昔の航空母艦用の航空機の折り畳み翼をまねて考えました。  この屋根裏忍者部屋は寝室として使う時もあったので、その機能を損なわないように机を折りたたむことを想定しています。 タイニーハウスに住むとこんな機能が大切です。

 

 

 

11年経って、それに近いリモートワークをしてはいるけれど、、、 実体はどんどん忙しいばかりで、その中身はどんどん目標から外れているような、、、、

 

あけましておめでとうございます。

 

コロナや、定年退職でご無沙汰してしまった方々にお知らせです。1月11日12日に東京ビッグサイトでの「ウッドコレクション2024」に茨城県に工場のある「木材を永く使う」企業として茨城県の展示に参加しています。2日間とも立ちんぼをしておりますので、ぜひとも会場でお目にかかれればと存じます。

 

9年前にミャンマーのビル再生工事現場で植えたNguwaの樹に、今年初めて黄色い花が咲き、ビルメンテの現地スタッフから写真が届きました。

 

 

今年は、万博の海外パビリオンの木造短工期化とか、リング木造躯体のリユースとしてアセアンに木造集合住宅団地の輸出提案など、末尾が4の年の強運を活かして、「木造維新」を頑張りますので、よろしくお願いいたします。

 

終活になるのかもしれませんが、 50年間にわたりいつかやろうと思っていたことを今日やってみました。

 

1975年に自作製作したバイオリンですが、この裏板はカエデではなくイエローシダー(米ヒバ)の糸柾の1枚板から削り出しています。

 

表板と同じ 一尺幅x厚さ一寸の糸柾材で建具屋さんから分けていただいた材料ですが、表板と同じ材取りではつまらないので、この一尺幅いっぱいに斜めに裏板をとりました。なので一尺幅全体の木目が斜めにあります。 

糸柾の木目は1mm以下という細目なので400年くらいの木目があると想像していましたが、いつか端から端まで数えてみたいと思って50年が経っていました。強度の近眼が幸いして眼鏡をとると木目が見えますので、眼が見えなくなる前にこれを実行しました。

100本=100年ずつ数えてみました。一部冬目が薄くて正確に数えることのできない箇所もありつつ、その結果はなんと、

838本

 

糸柾は成長の遅くなった丸太の外側にしかできないので、最初の50年ー100年分の心材部分は無いとすると、おそらく樹齢は1000年近い米ヒバの木だと推測されます。

 

ベイヒバの風呂桶の香りは今でもわずかに残っていますが、削っていた時の強烈さはありません。また、父と家づくりをしていて、職人さんにしてはハイカラにバイオリンを弾いていた原子ペンキ屋さんが、「バイオリンのニスは楽器の命だから」といって精魂込めて塗ってくれたオレンジ色の下で、米ヒバのアクはだんだん黒い色をにじみ出してきています。

 

このところ週7日体制で仕事をしてきましたが、今日はどうも仕事をする気になれず、ふと疲れて昔の時間に戻ってみました。

 

この楽器の音色は、木の響きの家で演奏した「となりのトトロ」の音色に記録されています。

 

 

ヒバの樹らしいしっとりとした優しい音色に聴こえますでしょうか? 

 

 

年賀メール用に、12年前に娘が描いた「雲間を舞う龍」のイラストJPGを探していたら アメリカの木造ホテルの写真と内部のL字型ミニキッチンの写真が出てきました。

 

 

一緒に学生インキュベーション「コミュニティーズ」用にデザインしたオールインワン高機能ミニキッチンの写真もでてきました。よく似ていますが、それもそのはず、ホテルの部屋に置かれたミニキッチンを参考にデザインしたものだからです。

 

 日本の1K用のミニキッチンは使い勝手が悪いだけでなく、器具が組み込まれているので器具の交換性が無く、古く、汚いものになってしまいますが、

 

こちらは冷蔵庫、洗濯機、コンロ、電子レンジはずべてキッチンにはついていなくて量販店の機材を置くだけになっているので、入居者ごとに入れ替えてきました。

調理台はダイイングテーブルの材料でできているので、料理しながら食べてしまいつつ、隣の洗濯機を回すというコックピット型オールインワン高機能ミニキッチンです。

 

おかげで狭いワンルームが少し広く使うことができます。

 

ミャンマーで、10年前に 緬国建設省旧本庁舎ビルを、PPP事業でビル再生するビルのビフォーアフターを設計し、現場での施工管理に従事しました。

 

この工事で、2013年に伐採してしまった鳳凰樹を取り戻そうと、赤い花の鳳凰樹2本と黄色い花の咲くグワ2本を植えました。

鳳凰樹は成長が早く最後の出張の2019年に開花を目にし、以降毎年赤い花がたくさん咲き往年の中庭の色を取り戻しています。

工事ローンの最後の着金を確認した年でもありました。が、以降は現地の様子はFaceBook の情報のみです。

 

今年は発育の悪かった、黄色いグワの樹に、やっと花がついたそうで、写真を送ってもらいました。

パダウに似ていますが、パダウは1年間に1日しか咲かないので、その代わりにもっと長く咲く花の樹木を植えてもらいました。とにかく成長しなくて、全く太さも、樹高も比べ物にならず、アンバランスなランドスケープですが、自然のものですのでその通りだと思っています。

 

 

三つ子の魂百まで とはよく言ったもので、電車オタクだった私には今でも通う原風景が外川田跨線橋です。

1959年ごろの 物心ついていないころから母親にせがんで、東海道線ー京浜東北線の走る、

外川田踏切に連れて行ってもらい電車の通過するのを見ていました。母親によれば、ほぼ毎日、右から左、左から右へじっと電車をみていて、だいたい1時間は帰らなかったそうです。

 

ある日、玄関先で土いじりをしていたはずのゆたかちゃん(私のことです)がいなくなりました。  母親と近所の奥様方はちまなこで近所を探しましたが見つかりません。 よしのぶちゃん誘拐事件などもあったまだ戦後の東京でした。が、外川田踏切で電車を見ている子供が見つかりました。2歳くらいの子供が踏切の脇でずーっと電車を見ていた、、、

 

そして、今日は2023年、すでに66歳になったジジイですが、ときどきこの外川田踏切から跨線橋になったここに電車を見ているのです。 ほとんど徘徊状態かもしれませんが、まだ現役の建築家として、過去と現代をさまよっています。

 

 あのころは、大人になったら電車の運転手と決めていました。 いま、通過する電車の運転手はすでに自分の子供の年代になっていて、「ご安全に!」 といつもエールを送る目線になっています。 

 昔の蒸気機関車の時代のような走らせること自体が困難な時代から、減点法だけの正確な時刻で運行するだけの機械の中に取り込まれた運転手という気持ちはどんなものか、複雑な思いで、自分の息子の世代にまっている運転手の皆さんを見ている自分がいます。

 

 当時は下駄電のうるさい音、80系の電車、それぞれ機能に応じて異なるスペックの車両で、 それぞれ走行音も異なっていました。 車両の種類も戦後の復興期で、次々と新しい形式ができてきました。103とか、111とか、横須賀線用の113とか、 不思議なのは、いまでもそうですが、いつも横須賀線用の車両は、類似の車両よりも少しアップグレードされていたのがおもしろかったでした。 

そして、エリートはEF58の牽引する列車、 そして10系のチンドン屋的なさまざまな客車、EF60の牽引するブルートレーン、おそろしくスマートな伊豆特急の日光型(なぜ日光型というのか不明)、 見た目は塗装が異なるだけに見える115系がなぜか東海道線に入ってきたり、  EF15にひかれた貨物列車が通過したり、、、次に何が来るのか分からない玉手箱がそこにありました。

 

いまは、京浜東北も東海道線も同じ型番で、通過するときほとんど同じ音しかしませんが、それでも会社勤めに疲れたオヤジには頼もしい機械音です。

 

今日、その跨線橋の上で撮影をしていました。なんだか、いいところに目を付けたなぁとも思いつつ、自分の原風景に侵入されたような寂しさもありましたが、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒲田 JR 外川田 跨線橋 陸橋 撮影ロケ

10年前に太陽光木製架台を各所に設計しました。

 

有名な構造設計者のデザイナーズ木造ではありませんでしたが、性能もコストも凌駕することができました。

構造の大家でも木材の構造的特性は全く知識が無いことが分かりました。また、地道に木造を大工さんとしてやってきたものから見れば、学識者の構想設計は所詮机の上のダンスに過ぎないと思います。

 

展示会場でのプレゼンテーションの様子です。

厚生年金をもらいながらのジョン万次郎さんの老後のようですが、まだジジイには見えないでプレゼンをすることができました。

 

木造と鉄骨・RC造は、設計者から見ると法規検討の結果に過ぎないが、環境目線で見ると「雲泥の差」があることを説明しています。

 

太陽光発電の架台を木造化したのに続いて、農業用の建物も木材を高耐久化加工して、木造化してゆくのが来年のテーマの一つです。