どうも、ブログはお久しぶりなビバオです。

先日、高校生に物理を教えていたときのこと。
キルヒホフの法則の第2法則という、中学校で習う「並列に接続した抵抗にかかる電圧は全部一緒」てヤツを少しばかり小難しくかつ小回りが利くように拡張した定理があるのですが、その高校生はなかなかそれを納得してくれませんでした。
彼女曰く「いくつ抵抗を繋げてもかかる電圧が等しいのならば、電圧がいくらでもあることになってしまうではないか?」と。
これを聞いた瞬間ビバオは思いました。
「コイツ!電圧のこと何もわかってねぇ・・・!」

・・・ひょっとしたら口に出してたかも。

いや、でも電圧って割と日常的に使われている物理量なんですけど、みなさんは電圧って何?と聞かれてすぐに答えることができますか?意外と難しいですよ、この量。

と、いうわけで今回は電圧のお話です。

とりあえずまずは電圧の定義を某Wikipwdiaから引っ張ってきましょう。

電圧(でんあつ)とは、電位 同義語 だが主に電位差 の意。基準点からの電位(電気的なポテンシャル )の差のことである。

はい、なんか新しい言葉が出てきました。電位(電気的なポテンシャル)。どうもこの電位の差が電圧のようです。
さて、では電位について説明をしましょう。しかしそのためには下準備が必要です。というわけで、まずはクーロン力から説明を始めます。
クーロン力は電荷というものを帯びている物体同士の間に働く力のことです。
例えばプラスチックの下敷きで頭をこすると髪の毛が下敷きにくっつく、あれはクーロン力によるものです。下敷きで髪をこすることで、下敷きと髪の間で電子のやりとりを半ば強制的に行わせ、それぞれが+と-の電荷を帯びるようになり、引き合うわけです。ここでいう電荷とは電気の量みたいなものです。
こういった現象自体は古代ギリシャから知られていたようですが、この力の性質を詳しく調べたクーロンという学者の名前をとってクーロン力と呼ばれています。
で、このクーロンさんは電荷の量についてもクーロンという単位を定義してくれました。
曰く「等量の電荷を持った2つの物体を1メートルはなしたときに、8.98755×109 ニュートンの力が働くときにその電荷を1クーロンとする」

これ、相当とんでもない定義です。8.98755×109 ニュートンの力というものはイメージし辛いので、重さに換算してみると、だいたい90万トンぐらいの重さです。おわかりの通り、1クーロンはなかなかとんでもない量の電荷なのです。
ちなみに電流の単位アンペアの定義は「1秒間に1クーロンの電荷が流れる電流の強さを1アンペアとする」です。これも相当ヤバイです。人体に1アンペア流れたら普通に死にます。

ちなみにここに書いた電荷と電流の定義は一昔前のものです。現在の定義について気になる人はWikipediaでも各自見てください。

次に、物理における仕事とエネルギーの話が必要になってきます。
物理において、仕事とは力を働かせたまま、その力の方向にいくら動かしたかによって決定される量です。そして仕事をされた物体はエネルギーという量を蓄えます。物体は蓄えたエネルギーの分だけ仕事をほかの物体に対しすることができます。
よくある例としては重力と重力の位置エネルギーですね。
地球上にある物体は例外なく重力により下向きの力を受けます。そのため、上に持ち上げるには上向きの力を加えて、上向きに動かさないといけません。つまり、仕事が必要なのです。
上に行くためには仕事をしないといけない→上のほうにある物体は仕事をされた→上のほうにある物体はエネルギーをもつ
こうして考えを推し進めていくと、重力の位置エネルギーという概念が導かれます。またその大きさは上にあればあるほど、つまり位置が高ければ高いほど、大きくなります。

実は、今した話の重力をクーロン力に置き換えると、位置エネルギーは静電エネルギーというものになり、高さに対応するものが電位になります。そしてその高さの差が電圧です。
よくある電気回路を水路に置き換えて説明している図は大分正鵠を射ています。

つまり、電圧は次のように定義できるのです。
「2点間を1クーロンの電荷を動かす時、必要となる仕事が電圧であり、また1ジュールの仕事が必要な時、2点間の電圧を1ボルトとする。」
エネルギーと仕事の話が出たので勘の良い方は気付いたかもしれませんが、並列の抵抗に同じ電圧がかかるということは実はエネルギー保存則を満たすためにはどうしても必要な条件となってしまうのです。

電圧という量は中学生なら当然、小学生でも大体の子は知っているものです。しかしきちんと理解するためには高校生程度の物理の知識が(最近なら中学生で十分かな?)必要となります。そして世間の大半の人はよく意味もわからずに電圧という量を使っているのでしょう。

これを読んだあなた、せっかくなのでここで得た知識を周りの人に吹聴してまわってね!
そんな知識が少しでもあなたの役に立ちますように。
でわでわ。
どうも、ブログ開設してから1カ月経たないうちに生徒にブログバレしたビバオです。しかもビバオと名付けた張本人に。
前回の昔の人のお話については、様々な方面(主にM田先生とY川先生)から好評でした。
曰く、「いくらなんでもあまりにも昔過ぎるだろう、紀元前数千年じゃないか。」
とか
「ビバオ君もグルメブログにしようよ。」
とか。

なので、これからもこのブログはこういう日常に関わってくるような科学についてのお話をつらつらと書いていくことにします。なんか前回アクセス数跳ね上がってたしね、よくわからないけど!

さて、今日のお話は色についてです。
高校生の生徒に、物理の光波について教えていた際に聞いてみたことがあります。物にはなぜ色がついているのか?と。
その生徒も光の波としての波長が色に対応することぐらいは知っていたようですが、さすがに着色の原理までは知らなかった様子。学校では教えてくれなかったようです。こういった実生活への応用が物理への関心を高めていくのになぁ・・・。

では、ビバオがお答えしましょう、着色の原理!

まず、着色には2種類あります。
発光しているものの着色と、発光していないものの着色。
前者に当たるものはテレビやパソコンのディスプレイ、蛍光灯、それに太陽や夜空に見える恒星があげられます。
また後者は身のまわりにあるほとんどの物があたります。

発光しているものの着色は至極簡単な原理に基づいています。その色に対応した波長の光を出しているだけです。一応テレビやディスプレイは光の三原色と呼ばれる光を任意の割合で重ね合わせることで様々な波長の光を作っており、三色あればそれは三次元の基底ベクトルになりその重ね合わせで任意の三次元ベクトルの波長を表せる云々ということになっているのですが、そんなことは気にしないでください(;^_^A

では、発光していないものの着色はどのようになっているのか?
前提として、発光していないものを”見る”ためには光源が必要となります。灯りが無い暗い所では物が見えないという当たり前のことから導かれる前提です。
すると、私たちはどうやら物自体を見ているのではなく、光源から出て物にあたって反射した光を見ているようだ、ということになります。ここに着色の仕組みがあるのです。

蛍光灯や太陽の光は白色光と呼ばれる、すべての可視光波長の光の重ね合わせとなっています。ようは白い光はすべての色を含んでいるのです。そして光は物にあたって反射するのですがそのときに物に吸収されてしまう光もあります。中学校の理科でも学ぶ反射と屈折の話です。ここでの吸収される光とはこの屈折する光とほとんど同じことです。

さて、ここから少し話のレベルが上がります。
高校の物理の授業で屈折率というものが出てきたと思います。物質によって固有の値をもつ数です。この屈折率から反射率が計算できるのですが、この屈折率、実は定数ではありません。波長、つまり光の色によって屈折の仕方が変わるのです。そのため反射率も色によって変わってきます。

つまり
物質によってよく反射する色が違う→白色光から特定の色だけが抜かれて反射→着色
というわけです。

ちなみに、この色によって屈折率が違うということを発見したのはニュートンだったりします。彼の三大業績は
1万有引力理論
2微積分の創設
3分光の発見
なんて言われていますが、この3番目が屈折率は色によって変わってくるという話なのです。


この色のお話は日常生活での応用がかなりできます。
例えば、トンネルの中などナトリウムランプしか光源がないところでは何もかもがオレンジ色に見えるのは、光源にオレンジ色の光しか含まれていないから、ということになります。
白い服は光をよく反射して、黒い服は光をよく吸収するなんて言いますが実際は因果関係が逆です。光を反射するから白く、光を吸収するから黒いのです。
金属がピカピカしているのは金属が可視光をほぼすべて反射するからです。(これはうちの大学の教授が言ってました。)

物理は堅苦しく見えるかもしれませんが、身近な自然現象を説明するのにかなり役立ちます。
ね、おもしろいでしょう?
某M田先生と塾の向かいにあるラーメン屋に行きました。
すると、マT田先生やってきたラーメン(のように見えるなにか)を写メで撮るではないですか。
そう、この町D先生、あの閣下ブログの人だったのです!

さて、M田先生もどうやらこのブログを知っている御様子で、なにかブログに対してキャラ付けをしろと言ってきます。M田キャラ論ですね。かといって私ビバオが語れることと言えば、アニメかゲームかマンガか科学(主に物理)しかありません。




はい、科学一択。


というわけでようやく気が向きました、科学について書きます!


先日、生徒との他愛もない雑談の中でこんな話がでてきました。

「昔の人はすごいよね、普通星が年周運動するなんて気付かないよね」

丁度天体のあたりの復習をしてたんですね、授業中にこういった小ネタをガンガン挟み込んで数学と理科に興味を持ってもらうのがビバオ流です。たいてい微妙な顔をされます。へこみます。

閑話休題

そのとき、きっとこういう風にして発見したんだよ、という仮説を適当にでっちあげたのですがそれが思いの外よく出来ているように感じたため、今日はそのことについて書こうと思います。
え、導入がクドイ?よく言われるよ!

さて、ここに文明を持ち始めたぐらいの人類がいたとしましょう。おそらくこの人類は、暑い時期と寒い時期が交互にやってくるということ自体は経験として知っていることでしょう。
ある日、この人類の中からどのくらいの日数で暑さと寒さが変化しているのだろうかと気にするものが出てきます。これは農耕について考慮すると必要性に大分迫られていた問題だったのでしょう。
この疑問を調べるのは、大雑把に行うのなら容易です。だいたい100日もすれば季節は変わります。この程度なら温度計などなくとも体感でわかることです。

文明初期の農業ならこの程度で十分実用的だったのでしょう。
これは必要に迫られて発展した例ですね。

ここまでは、どちらかというと工学よりの科学。これからが理学よりの科学です。

だいたい100日も経てば季節は変わる、これはよいでしょう。では、なぜそうなるのか。季節の変化を引き起こしているものはなにか?正確には何日なのか?このような疑問を膨らませてしまった奇特な人々がいました。
この疑問を解消するのはかなり骨が折れたはずです。様々な人々が様々な観測をして様々な仮説を発表したのでしょう。そしてある天才が気付くのでしょう。

「太陽だ!」

太陽が原因だということさえ分かれば後はそれほど難しくありません。影が一番長くなった日から、もう一度同じ長さになるまでの日数を数えればその間隔が365日であり、その間に季節が一周していることに気付くことができます。
太陽が年周運動するならば、同様に空にある星も年周運動を行うはず、という仮説のもと、さらなる観測が実行されてそのことが確かめられるというわけです。

こうして、科学というものは発展してきたわけです。

また、このことは誰にでも再現可能であり、世代間に引き継ぐことができる知識として蓄積されていきます。この再現可能性こそが科学の本質、普遍の原理、というものに繋がってくるのです。


どうです?たまにはやるでしょう?