私の父はあまり多くを語らない。
母がコロコロと明るく話すのをゆったりと聞いている……そんな印象だ。
お酒を飲むと少しは饒舌になるが、それはもう少し若い頃の話で、最近は、年のせいか声高らかに何かを語ったりというようなこともめっきり少なくなった。
いつも穏やかなものだ。
そんな数少ない会話の中で、今でも折に触れて思い出す言葉がある。
そのひとつが【形あるものは壊れる】だ。
まだ私が高校生かその位だったと思う。よく状況は覚えていないが家で茶碗を壊してしまった時のことだ。
『あーっ、ほら何やってんの? 気を付けないから。まったく。しょうがないなぁ。ボーッとしてるから』
と矢継ぎ早に飛んで来る母の言葉。
それらをを制するかのように、ボソッと一言。
『形あるものは壊れるからなぁ』
母の小言がピタリと止んだ。
もともと我が家はどちらかというと亭主関白。父の言葉は絶対みたいな所がある。かといってあれこれ口を出すわけではない。口数は少ないし、子育てに関しては母にまかせっきりだ。
だから時々発せられる言葉には重みがあるような気がした。今思うと当たり前の言葉なのだが、その時助けられた感じがしたのは事実。
その後のことはまるで覚えていないのだが私の中にこの言葉は刻まれ、身近で物が壊れるたびに思い出した。
【形あるものは壊れる】
何かを壊されてもわざとじゃない時は笑って許してあげる。そんなふうになったのはこの言葉のおかげだと思う。
救われたという記憶。
それは感受性の塊みたいな年頃には効果覿面らしい(笑)
もうそれだけで尊敬にあたいする存在なのだ。
そんな言葉を投げ掛けられる大人でありたいと思う。
これがなかなかに難しい(笑)
気楽にいこうぜ
ケセラセラ🦉
