2025.2.7
『私とフジファブリックのすべて』(急な自分語り長文🙇♀️)
2009.12.24、志村正彦急逝
その年のCDJFフジファブリックの出演はキャンセルされ、
その時間のステージはその日の予定セトリと映像が流された
後日ロッキンオンは、「フジファブリック最後のステージ」と
記事にし、「なんで最後なんて決めつけるんだ!」と炎上した
でも私も、最後だと思ったし、最後であって欲しかった
志村のいないフジファブリックなんてあるはずがないと、
あってたまるかと思った、から潔く終わって欲しかった
でも山内がボーカルを務めることになって、披露されて、
正直鼻で笑うような思いだった、「これは無理」と思った
そのくらい初披露で聴いた初生『会いに』は虚しかった
それでもやっぱり動向は気になって
大好きなアニメつり球の主題歌、『徒然モノクローム』
歌詞にそれぞれの登場人物の名前が入っていたのには、
(ハル ユキ ナツキ アキラ )やるな山内と思った(偉そう)
⚠︎徒然の歌詞は加藤さん!記憶が改竄されてました🙇♀️💦
(ハルか〜ユキましょう〜ちょこどーナツキ〜アキラめる)
総ファブでの初のロッキンのレイクステージは満杯で、
グラスから駆け付けたけどほぼ観れなかった、すごい
そのうち、若者のすべてが評価され始めたりして、
瞬く間に志村正彦はカリスマ化され正直嫌だった
志村の才能はそりゃ認めてたし大好きだったけど、
私は志村の曲で跳ねて踊って笑っていたかったし、
カリスマになるような遠い存在になったのも嫌で、
若者のすべて以外にもたくさん名曲はあるわけで、
志村が亡くなったから評価されてますかのような、
知らない世代には「若者のすべてだけのバンド」
なんて言われるのも腹立だしかったし悲しかった
ふとした時思う、思い出す、記事を読む、映像を見る、
するとすぐにあの日あの時あの頃に私は戻ってしまう
ダイちゃんが言っていたように、急にいなくなった、
彼は突然消えただけ、死を受け入れるてなんだろう
でもそのうち、当初バリアを張ってたであろう私にも、
フジファブリック繋がりと呼べる友達が出来たりした
正直私はフジ全部を網羅していたファンではないので、
志村やフジのことを語るのも申し訳ないなと思いつつ、
嬉しかったし、現フジのライブも身近になっていった
総くんには総くんの、志村には無かった良さがあって、
純粋に総くんの覚悟や決意や努力には胸を打たれたし、
続いていくバンドの安心感と頼もしさを応援していた
あんなにもう消えたって構わないと思っていたバンドが、
三人が動き続けてくれることによって過去にならなかった
だから、フジ休止の報せには、思いの外動揺してしまった
あ、ついに終わるんだ、と思った
あの頃、2000年代、私は一番音楽に貪欲で夢中だった
ロキノン系を貪り聴いていた(ロキノン系て死語らしいよ)
まさに青春時代(私の青春時代開花はまさに大学時代から)
志村の死は青春真っ只中のことだったので、今でも鮮烈だ
きっとフジファブリックのメンバーだって青春だったはず
そんな三人が大人になって、家庭を持って、環境が変わる
心境だって生活だって変わる、バンドだけが人生じゃない
青春が終わるのかな?でも、音楽は終わらないし消えない
なんだ、やっぱりフジファブリックと私の関係は変わらない
私は本当自分でも呆れるほどあの頃と全く同じ場所にいるし
変わらない気持ちで音楽を聴いているから(きっと一生そう)
変わってしまう形や、別れが、猛烈に寂しくはあるのだけど
なんでもない曲を面白いものに変えてしまう志村の歌が好き
優しくて柔らかくて精悍で誠実で純粋な総くんの曲が好き
それはもう絶対変わらない事実で、ずっと消えない想い
十五年以上もずっと奇跡を続けてくれてありがとう
ボーカルが変わっても止まることなく第一線で活動、
それはもう本当に、奇跡級に凄いことだと思ってる
三人共これからもずっと音楽を楽しんでいて欲しい
なんでもいいから、生きて、幸せでありますように