2022.2.3
先日、一月二十八日、朝方、
私の実父が亡くなりました
七十二歳でした
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あまりにも突然のことで、
前日まで、言ったらその数時間前まで、
自分で立って歩いて一言二言は話せて、
意思疎通も取れてるような状態でした
まあ最近の体力、筋力、気力、認知力、
の低下は否めませんでしたがそれでも、
まあいつもどおり、とは言えなくとも、
まさかこんな急に、と思う程急でした
朝になってベッドにもたれかかるように
静かに息を引き取っていた姿を見つけて
泣きながら心臓マッサージを施しました
が、時既に遅し、でした
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父親が要介護状態になってから七年、
毎日父親のことを気にかけて考えて、
それが急にスコーンと終わりを迎え、
その呆気なさになんだか実感もなく、
頑張ったしやり切ったとは思っても、
あのときああしてあげれば良かった、
あんなことしなければ良かった、と
後悔の念はどうしたって残るわけで
悲しみよりも悔しさや無念さが募る
でもやはり安堵している自分もいて
感情迷子ですが不思議と涙が出ます
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仲の良い親子ではなく、むしろ元々大嫌い、
(母のことは大好き!という典型的母親派)
介護をすることにでもならなければきっと、
がっつり絡むことのないような関係でした
それがこうしてこうなったことによって、
父親との記憶は色濃いものになりました
父を盛り上げようと無理矢理上げるテンション、
でも元気に振る舞っていたら結果元気になれた、
テキパキと動いたら生活にメリハリがついたし、
学校で学び得た知識以上の経験値を手に入れた
「七年で終わりますよーー解放されますよーー」
と最初から分かっていればもっと優しく出来た
でもそんなの分からない、永遠続く気さえして
つらかった、しんどかった、きつかった、でも
七年だった、短く長い、長く短い、七年だった
どうしていつも突然なんだろう
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加齢のせいかどんどん色素が薄くなっていった、
まんまるに開いた、真っ青な瞳が忘れられない
毎日接する中で、笑い合ったことだってあった
髭剃りも髪剃りもした、一緒に散歩にも行った
父の人生の最後の七年はすべて私の記憶の中だ
最後の最後まで、娘に怒られ怒鳴られて、
散々だったよね、可哀想に、辛かったね、
分かってたけどどうしようもなかったの、
まさかあれが最後だなんて思わなかった、
ごめんね、お疲れ様、ゆっくり休もう
ごめんね、お疲れ様、おやすみなさい
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こんな投稿をすること、
正直いかがなものか?と思いましたが、
今までさんざん父親のことで騒いだり、
愚痴ったり悩んだり怒ったり喚いたり、
その度励まして下さる方々もいたので、
私事ながら報告させて頂きました
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読んで頂きありがとうございました
ボーッとすることもあるけれど、私は元気です
まだまだやることたくさんだー!
喪主は俺だ俺だ俺だー!