鬼神、天へ… | 超電戦士バトレンジャー OFFICIAL BLOG

2022年5月29日、俺にとって、この業界での育ての親にあたる先輩、ターザン後藤さんが逝去された。


翌30日の夕方に報せを聞いた俺はその日、夜から朝方まで、いったい何杯の献杯をしただろう…

実は後藤さんに自分の興行に出ていただきたく思い、密かにアプローチしていました。

コロナ騒動のなか緊急事態宣言により中止する事となった、2020年5月開催予定だった2大会。ここで俺のデビュー30周年記念試合を組んで後藤先輩に出場して欲しいと思っていました。

その2大会に限らず俺にプロレスの基礎、そして業界のいろはを教えてくれた方だから、いつかリングの上で感謝を伝える場を自ら設けたかった。

順番は忘れたけど2度お店に行き、2度手紙を送らせていただいた。「電話すれば?」と思う人も居るだろうが、長いことお会いしてなかったし、電話で伝えるのは良い判断とは思えなかった。

結局は何れの日も会えなかった。ラーメン屋さんですから、長居は出来ないので食べ終えてから追加注文をするとかしながら時間を稼いでみたりもしたし、店の周りは車内からの張り込みは難しい環境なので周辺をウロチョロ歩いてみたりもした。

酒を絡めてする話しでは無いと思ったので後藤さんのされている飲み屋、スナック?へは行かず。ラーメン屋で会って「おぅ、行くぞ」と声をかけられたなら、それは有りだけど自ら行くのは違うかなと。

昨年の夏頃だったかな?「3度目の正直」と願いながら、ラーメン屋さんへ伺ったら緊急事態宣言により営業をストップされていた。仕方ないので近くのコンビニで便箋とペンを買い、車内で手紙を書いて、お店に置いてきた。結局1度も返事をいただける事はなかった。

そして先月の上旬には今月の中旬に都内である人と会う事が決まっていたので、その時にラーメン屋さんへ伺おうと決めていたタイミングでの突然過ぎるこの度の訃報。

葬儀の日まであっという間だった。「しっかりお見送りさせていただきたい」その想いで二日間、出席させていただいた。

二日とも直接、顔を見ながら話す事が出来た。
どちらも只、感謝の気持ちを伝える事しか出来なかった。二日目は「これが本当に最後の機会だ」と思ったら自然と声を出していた。「お疲れさまでした。ありがとうございました」と。それが精一杯だった。

最後は霊柩車まで棺を持たせていただいた。
お顔の左側にあたる角だったので改めて謝意を伝え「ある事」を伝えてみた。そうしたら「やってみろ」と言われたような気がした。否、俺には聞こえた。やるしかない。

可能なら火葬場まで行きたかったが、用意された2台のマイクロバスが親族の方々で埋まり、親族の方以外のマイカーでの来場はご遠慮をと聞いたので俺はここまで。でも、 ちゃんと見送る事ができて良かった。

後藤さん、俺のような問題児に向き合ってくれてありがとうございました。公私含めFMWで1番喰らわされたと自負してます。当時は「この野郎」となった時もあるし、態度に出したことも有りましたが、いまは只々感謝しかありません。厳しく、厳しく、厳しく、そして時に優しく接してくださり、本当にありがとうございました。

俺自身だいぶ試合数も減ってはいますが、徹底的に叩き込んでくださった基礎を大切に残りのレスラー人生、少しでも太く長く生きていけるよう精進します。

後藤さん、本当にお疲れさまでした。そして大変お世話になりました。在り来たりの言葉になりますが、ありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

合掌。



通夜を終え無性に後藤さんと呑みたくなり
1人、葬儀場近くの中華料理屋へ。

後藤さんに献杯。