亡くなってしまった悲しみは勿論だが、「同じ業界に入ったのに挨拶すら出来なかったな」と思ったら暫く止まらなかった。
初めて生で彼の試合を見たのは1984(S59)年1月、俺が中学1年生の頃に横浜文化体育館で行われた小林邦昭さんとのシングルマッチで確かWWFジュニアの王座決定リーグ戦だった。
いま思うと眼だけでなく全身が鋭いと言ったら良いのだろうか?「プロレスラー」としての自信、プライドをオーラとして発散しまくっていた。前年の春よりプロレスを観はじめ、記憶が確かなら3度目の生観戦。13歳のガキには、そう見えてそれがまた格好よく映った。
全試合終了後に選手が出てくるのを待っていると貴方の姿を見つけた。ペンと色紙を握りしめて誰よりも速く駆け寄った。一瞬だけど目が合った。その瞬間だけ無愛想な顔を少しだけ崩しニヤリと、その場で出来る最大限であろう最高にヒールなスマイルをくれた。と思ったら頭をバシッ!と思い切り叩かれた。サインは貰えなかったけど、今でも覚えてるくらい凄く嬉しかった。
そんな俺が、その6年後にプロレスラーとなる時、実は貴方のコスチューム、ダブルショルダー&ロングタイツを真似しようとしました。
「あまり派手にはするな」と言うNo.2からの忠告には蓋を…更に鍵をして(笑)
それぞれ違うパターンのコスチュームを3つ程考えていたのだけれど、制作してくれる方との打ち合わせの際、第1希望として伝えると「No.1と2と同じ吊りパンタイプになるけど大丈夫?避けたほうがいいんじゃない?」と心配してくれた。
自分の身体の小ささを考えたうえでもキッド・スタイルがベストだと思ったんだけど「後々の楽しみにとっておいてもいいんじゃない?」とのアドバイスに、「それもそうだな」と納得し、以降そのまま着ることなく現在に至っているけど、何時かやってみたいな。
成人式目前の試合では、それまで何気なく使っていたダイビングヘッドバットを「これからは貴方を意識して使おう」と心に決め、そして対戦相手にもガッチリ決め、自らの鼻の骨を折りました(苦笑)慌てる周りを尻目に内心では、納得な会心の一撃に少しだけ自己満足に浸り、骨折と引き換えに、なにか根拠の無い自信みたいなものを得た気がしました。
長々と書いてしまったけど、数多く居るであろう貴方に影響を受けた一人です。感謝します。
業界の偉大な先輩、ダイナマイト・キッドさん、お疲れさまでした。安らかにお眠りください。ご冥福を心よりお祈りいたします。