葛彦は、時平の寝所に伝声管を仕掛けさせていた。銅管を地中に埋め、ラッパの様に広がる開口部を地面すれすれに設置した上で、布を張って巧みに擬装したのだ。鳶丸は時平達の警戒を他所に、寝所から遠く離れた物陰に身を潜め、呪詛の言葉を囁いた。
鳶丸が潜む物陰に衛士が近付きそうな時は、別の仲間が彦玉を放って敵の目を引き付けた。
夜毎眠りを妨げられ、時平は体力を失って行った。昼の間に浅い眠りを貪ろうとするものの、風の音にも怯え、眼を覚ましてしまうのだった。頭痛と下痢が続き、胃が食物を受け付けなく成って行った。
藁にも縋る思いで醍醐寺の貞崇に加持祈祷を願ったが、道真が死んで怨霊と成った今、最早自分の法力ではどうにも成らぬと言う。代わりに紹介されたのが天台僧浄蔵であった。三善清行の子であり、此の時若干十九歳であったが、既に密の奥義を極め祈祷に霊験あらたかであると言う。
だが、是も天神の仕掛けた罠であった。
三善清行は道真の盟友であり、天神の仲間であった。其の子浄蔵は、時平の寝所近くに祈祷所を設け、七日七夜の祈祷を行った。
既に憔悴し切った状態の時平である。昼夜を問わぬ読経の声明に鳴り物まで加わり、転寝さえ出来なくなった。うわ言を口走り、昼でも悪夢にうなされた。
「道真じゃ! 彼奴が其処におるぞ! 吾を取殺しに来たか?」
突然、時平は蒲団から跳ね起き、叫び出した。空を見詰めながら、よろよろと部屋の中を歩き回る。
「はははは。迷うたか、道真。吾を誰と思うか? 左大臣にして藤原長者。卑賤の身で触れる事叶おうか! 下がれ、下がれ!」
時平はぐるぐると回り出し、壁にぶつかって倒れ、起き上がっては走り回った。
「はははははは……。うあああ!」
部屋の中央で雄叫びを上げると、時平は頭を抱えて朽木の様に倒れ伏した。
其れが、左大臣時平の最期であった。
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