晴明は河内の生まれ。
母は泉の国、信太の森に棲む狐だったという伝説がある。
「恋しくば尋ね来てみよ 泉なる信太の森の恨み葛の葉」
狐の正体が露見した晴名の母は、襖にそう書き残して去っていく。
狐=母の名が葛の葉とされている。
「恨み」という言葉が、狐の無念を感じさせる訳だ。
しかし、本当の意味は違うと思われる。
「うらみ」は本来、「裏見」なのである。これは「葛の葉」の枕詞なのだ。
葛の葉は葉の裏側が白く、風に靡くとそれが目立つ。よって、裏見草の呼び名があるのだ。
件の歌は、「葛の葉を訪ねてこい」と言っているにすぎない。
「葛の葉」とは、何か?
女の名ではなく、紡織集団のことを指していたのだろうと推測している。葛はすぐれた天然繊維なのだ。
つまり、晴明の母は信太に住む紡織集団の女であったが、略奪婚により河内に連れてこられた。晴明という子をなしたが、何かの理由で里に返された。
そういう事情が窺える。
晴明は、河内土師氏、すなわち土木・工業技術系の土師氏を父方に持つのであろう。母方に泉土師氏、すなわち紡織系土師氏を持つ、ハイブリッドであったことを象徴しているのだ。
だからこそ、晴明は陰陽道の大家として崇められたのではないか。
この辺は、「鉄と草の血脈-晴明編」とでもして、扱ってみたいテーマである。
これはすべて想像の産物である。