壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、二位の尼に抱かれてわずか八歳で入水した、悲劇の幼帝安徳天皇。
かわいそうだと思うのは人情であって、放っておけば怨みも募るだろうということで、手篤く祀った。水底の王になったといってあげるために、水天皇、水天宮と称えたわけだ。
こどもだったので、怨霊化の心配はそれほどされなかったろう。
やはり、哀れが先に立ったのではないだろうか。
手篤く祀れば御霊となる。
生前の霊力が強ければ強いほど、御霊としての霊験もあらたかとみられる。
天皇などは人として最高レベルの霊力の持ち主とみられていた訳だから、怨みを飲んで死んだ天皇という存在は最高の御霊候補となる。
生活史的にいえば、水子信仰の影響もありそうだ。
そもそも幼児死亡率が高かった昔、幼子を亡くす悲しみは民族に共通する痛みだったに違いない。生活のために堕胎や間引きを行うことも一般的だった。
その悲しみを癒すために、水天宮信仰はうってつけだったのではないか。
子を持つ親はその子の無事を祈り、子をなくした親は来世での幸せを祈る。
「情け有馬の水天宮」
水天宮はまさに、「情け」の神なのだ。