「鉄と草の血脈-天神編」■第十章:雷神降臨 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

■第十章:雷神降臨
 
「何だ、何だ。漸く相手が来たか? 此方は何時始めても良うござるぞ」
 
場所柄、身分も弁えず、蹴速麻呂は一座を前に大声で言い放った。
 
「相手は御前か? 其の様な体付きでは話にならぬ。詫びを入れるなら今の内ぞ」
 
道真が誰かも知らず、傲岸にも侮蔑の言葉を投げつけると、蹴速麻呂は両手で辛うじて握れる程の太さの立木の前に立った。
ぐっと腰を落として構えると、無言の気合と共に踏み込み、立木目掛けて突き手を放った。
 
現代の相撲で言う「てっぽう」である。
 
どん、という鈍い音を立てて立木は揺れ動いた。
更に手を替えて立木を突く。
 
どん。
 
どん。
 
三度目には、めりっと木にひびが入る音がした。
 
どん。どん。
 
五度目の突きでは、ぼこりと根元が土を持ち上げた。
 
蹴速麻呂は更に深く踏み込んだ。
脇を締めて両手で立木を突き上げる。
 
ぶつ、ぶつ、ぶつという根の切れる音を立てながら、立木は土を跳ね飛ばして斜めに傾いた。
 
「はっ!」
 
半歩間合いを取った蹴速麻呂は、再び踏み込みながら右脚で蹴りを放った。
 
三十貫はあろうという体の重みを乗せた蹴りである。
砕けた樹皮の破片を撒き散らしながら、立木は根こそぎ薙ぎ倒された。
 
「おお! げに凄まじや」
 
見物客は胆を潰した。
 
「どうじゃ? 是でもやるか!」
 
蹴速麻呂は汗を滴らせながら、道真に向かって吠えた。
 
道真は是に構わず、基経に正対して頭を下げた。
 
「是より土師氏の習わしに従い、此の身に雷神を降ろす呪法を行いまする」
「雷神じゃと?」
 
思いも寄らぬ成行きに、基経は場の主導権を道真に奪われていた。
道真は黙礼すると、従者達に目で合図を送った。
 
御者の老爺が麻袋を捧げて進み出た。
高貴の人々の注目を浴び、引き攣る程に緊張していた。
 
操り人形の様にぎくしゃくと歩を進める。
 
道真が呪法を行うと宣言した後である。
老爺のぎこちない動きさえ、見守る者達には不気味に見えた。
固唾を飲んで様子を窺っていた。
 
是から両雄が闘おうという開けた場所まで進み出ると、袋に手を突っ込んだ。
老爺が袋から取り出したのは、何やら白い粉に見えた。
 
「神依らしますこの地浄め奉る……」
 
裏返りそうな声で唱えながら、白い粉を辺りに撒く。
一面が薄く雪を被った様に成ると、老爺は後ろに引き下がった。
 
続いて鳴神の箱を捧げ持った葛彦が、道真の横まで進み出た。
 
「神威降ろす鳴神の箱に候。掛けまくも畏き伊邪那岐の大神……」
 
此方は美声とは言えないながらも、腹の底からの朗々たる詠唱である。
恭しく箱を地面に置くと、二拝二拍一拝の礼拝を為した。
 
次に道真の後方へ回ると、今度は真言を唱え始めた。
 
「おんあぼきゃあ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばらはらはりたや うん……」
 
道真の肩から狩衣を取り去る。
 
現れた道真の肉体には、異様な紋様が描かれていた。
 
両手は真っ黒に塗られ、其処から首筋に掛けて両腕の表に黒々とした帯が描かれていた。
まるで燃え盛る漆黒の炎の様でもあり、黒い奔流の様にも見えた。
 
「あれは何じゃ?」
「まさか刺青ではあるまい」
 
見物人がざわざわと騒ぎ始めた。
 
梅若が背にしていた細長い包みを解いて、中身の物を両手に捧げて歩み出た。
真言を唱えながら道真に差出した其れは、一振りの銅剣であった。
 
「おんあぼきゃあ べいろしゃのう……」
 
今や道真も真言を唱和しつつ、梅若の手から銅剣を取上げる。
体の前に横たえたまま目の高さに捧げ拝んだ後、呼吸を整えて抜き放った。
 
「まかぼだら まにはんどま……」
 
箱の前に座り込んだ葛彦は、懐から取出した取っ手を箱の横から差し込み、真言と共に廻し始めた。
箱の中からは、何かが擦れる音が聴こえて来る。
 
「じんばらはらはりたや うん……」
 
道真は手にした銅剣を箱の表面に開けられた隙間に差込んだ。
 
「おんあぼきゃあ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばらはらはりたや うん…」
 
葛彦と梅若の声が一段と高くなった。
 
ふと見れば、道真の髪が解れ、一筋、二筋と立上がって行く。
 
「何じゃ、あれは?」
 
一同は最早蒼褪めていた。
 
更に時を掛けて、道真主従は銅剣を研ぎ上げた。
 
既に道真の髪の大半が逆立っていた。
 
すいと銅剣を箱から抜き出すと、道真は先程蹴速麻呂が倒した木の方へと歩き出した。
其の横には、倍程の太さの別の木が生えていた。
 
「此の身に依り居ます雷神の神威、得とご覧あれ」
 
言うや道真は構えもせず、右手に下げた銅剣を差し出す様に放り投げた。
剣はゆっくりと円を描きながら、二間の距離を飛んで立木に突き立とうとした。
 
其の瞬間。
 
剣の先から雷光が発し、切っ先を埋める寸前の樹皮を撃った。
 
ぱん。
 
と、小さく破裂音がしたが、次の瞬間耳をつんざく轟音に掻き消された。
 
どおーんと辺りを震わせて、剣が突き立った所から立木が爆発したのだ。
 
めりめりと凄まじい音を立てながら、二つに折れた立木の上部が倒れて行った。
破片が飛び、折れた立木からは煙が立ち上っていた。
刺激臭が鼻を襲い、人々は咳き込み、涙を流していた。
 
「あわわわ……」
「雷じゃ!」
 
見物どころか、大半の者は腰を抜かしていた。
 
爆発を最も間近で経験した蹴速麻呂は呆けた様に立ち竦んでいた。
 
「雷神に向かう者はそなたか……」
 
道真は眼光鋭く蹴速麻呂を睨み付けながら、近付いて行った。
蹴速麻呂は気圧されて声も出ない。
 
もう一歩で手が届くという所まで近づくと、道真は歩みを止めて右手をゆっくりと差し伸べた。
 
伸ばした腕の先、拳が相手の目の高さまで来た時、道真は低く囁いた。
 
「見よ……」
 
握った拳の中から人差し指だけを立てた。
 
其の手は漆黒に塗られ、爪が長く伸ばされていた。
異様に尖った爪の先を蹴速麻呂が見つめた其の時、道真の指先から電光が走った。
雷は蹴速麻呂の左目を撃った。
 
「ぐわっ!」
 
予期せぬ衝撃に、蹴速麻呂は顔を押さえてよろめいた。
 
道真は低く身を沈めると、死角を突いて地を這う様に相手の左手に回り込んだ。
するすると左後方に抜けると、目を覆っている蹴速麻呂の左手、其の小指を掴んでぐいと捻る。
 
「うっ?」
 
鋭い痛みに蹴速麻呂は引かれるままに腕を取られた。
其のまま体を廻しながら、道真は蹴速麻呂の腕を引き落として行く。
更に相手の肘を右手で決めながら、ぐっと押し下げた。
堪え切れず、蹴速麻呂の巨体がふわりと宙に舞った。
 
くるりと、嘘の様に綺麗な円を描くと、蹴速麻呂は地に落ちて行った。
下は剥き出しの地面である。
立木が倒れた時を上回る地響きを立てて、巨体が背中から地を叩いた。
 
「うーん…」
 
蹴速麻呂は息が詰まって悶絶した。
 
「おお!」
「これは……」
 
道真は基経達の方に顔を向けた。
 
「次は誰か……?」
 
右手を一人一人の顔に向けて行く。
 
「そなたか?」
「そなたか?」
 
見物人は首を振り、顔を背けて逃れようとする。
 
「吾が力、其の身を持って試すが良い」
 
「おんあぼきゃあ べいろしゃのう まかぼだら……」
 
道真が再び真言を唱え始めると、最早堪らず我先にと逃げ始めた。
関白基経も例外ではなかった。
 
沓も履かずに這う様に屋敷へ逃げ込んで行った。
 
「主様!」
「ぐむ……」
 
道真は右手を抱え込む様にしてよろめいた。
 
「葛彦、荷物を頼む」
 
梅若は崩れ落ちそうな道真を抱きかかえて、出口に向かう小道を辿り始めた。
 
「雷神の神威、疑う者は最早ございますまい」
 
梅若が語り掛けると、道真は僅かに頬を緩ませた。
 
「関白殿にも畏れを知らしめる事が出来た様だ。屋敷に帰ろう」
 
後に残った葛彦は、頬を涙で濡らしながら剣や箱を仕舞って行った。
 
「雷神様の御神威疑う者あれば、次は儂が……儂が討つぞ」
 
蹴速麻呂はまだ意識を失ったまま、ぴくりとも動かなかった。