「美術品は読み取るものだ」


そんな考え方が主流になりつつある。


作品を目の前にして、解説をじっくり読み、

情報を頭に入れて 「理解」 しようと努める。


鑑賞する前に解説講座を開く美術館もある。

実は先日鑑賞した 『チベット展』 もそうだった。


美術館を出るときには、みんなが

いっぱしの "専門家" になっている。


はたしてそれでよいのだろうか。


ジイちゃんは- 精神は尊重したが

「精神的」 なものは認めなかった。

意味も、精神も、すべて形に現れる、

現れなければ そんなものは

空な言葉にすぎないと信じていたからだ。


-白洲正子 著 『いまなぜ青山二郎なのか』


かの白洲正子は自分の審美眼のみを信じ、

能書きには徹底的に無関心であったらしい。


とにかく 美しい 「形」 を愛した。


そんな生き方も、またおもしろい。