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現在、私はH社という会社でアルバイトとして働いている。H社では、冷蔵庫内で仕分け作業をしている。この仕事を始めたのが2011年のことだった。この仕事に出会ったときの感慨は忘れがたいものがある。
H社で仕分け作業をするとき、私は作業に没頭し、集中して働いている。普通の人からすればそれは当たり前のことかもしれないが、私にとっては初めての体験だった。
それまでの経験を振り返ってみると、働くことは私にとって苦行以外のなにものでもなかった。仕事をする最中の関心はただ1点、あと何分で仕事から解放されるか、ということだけだった。そんな状態で仕事に身が入る筈がない。どこで働いても「1番使えない奴」というポジションが定位置だった。
特に2011年の前半に働いていた会社では、「お前は障害者より使えない」と、ことあるごとに言われていた。これは実際にその会社で以前に働いていた障害者の方との比較に基づく言葉である。私はこのように言われて特に悔しくもなかった。というのもそれは自己評価とも一致する評価だったからである。
それが、次に入ったH社では、作業に集中して1人前に働けていた。
(世の中には、こんなに苦にならない仕事があったのか)
この新鮮な驚きは、山梨学院の2年ぶりのシード権確保を予感させるに充分なものだった。
H社で働き始めるまで、私は生活費の面で常にギリギリの生活をしていた。給料日前に所持金が底をつき、母に送金してもらうケースも珍しくなかった。2011年、26歳にしてようやく経済的自立を果たしていた。
前年にホームレス生活から脱却し、さらに経済的自立を果たしたことになる。しかし自分が社会適応できるようになったとはまったく思っていなかった。以下、その理由について記すことにする。
2010年に銃刀法違反で逮捕されたことはすでに述べた。逮捕歴はその1回だけである。しかし、私は自らが常に犯罪者寸前の状態にあると認識している。というのは、2011年以降、周囲で咳をした人に唾を吐きかける行為――本書ではこの行為を「ぶっかけ」と表現することにする――が習慣として定着しているからである。
初めてぶっかけをしたのは、2011年の1月だったと記憶している。前年からふくれあがっていた咳の音に対する憎悪の念は臨界点に達し、報復行為に出るようになったのだった。ぶっかけた相手の表情に嫌悪の色が浮かぶのを見ると、気持ちよかった。鬱憤が晴れる思いがした。以来、ぶっかけを頻繁に繰り返して、今日に至っている。
その他にも咳をする音と同時に唾を吹き出したり――同時噴射と表現することにする――、相手を威嚇したりするなど異常行動は枚挙にいとまがない。咳に起因する憎悪の念によって精神性が大きく歪み、周囲の咳に対してノーリアクションでいられなくなったのが、この2011年のことだった。
―――ちなみに本書の執筆はインターネット喫茶でおこなわれている。どういうわけか、インターネット喫茶では激しく咳をする人が多い。したがって、しばしば同時噴射をしながら、本書の執筆をすすめている―――
ぶっかけによって警察沙汰になったことは1度しかない。しかし、言うまでもなくこれらの行為は社会常識から大きく逸脱している。ここまでの文章を読んでいただいた読者の気分を害してしまったとしたら申し訳なく思う。
本書に、自らの異常行為を正当化しようという意図はまったくない。むしろ、こうした行為を続けていることに対する良心の呵責が、本書を執筆する要因の1つになっている。そのことは最後まで読んでいただければ分かる筈である。
このようなわけで、経済的自立を果たしたにもかかわらず、自らが社会不適応状態にあるという認識に変化は生じなかった。この年も社会適応ジンクスは継続したことになる。
社会適応ジンクスを前提とすれば、仮に神奈川大学がシード権を獲得すれば、私は再び社会適応できる筈である。しかし、咳に対する憎悪の念の強さを思うと、自らが社会適応している姿は想像がつかなかった。裏を返して考えてみると、以下のような不安がうまれてくる。
(神奈川大学はこの先長くシード権を取れないのではないか)
こうした不安を抱えつつも、山梨学院ファンである私は、自らの精神状態の上昇を優先的に追求していくことになる。