頭の中の引き出し
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ホイットニー・ヒューストン(本題)

ということでホテルに住んでいたので、

有名人が来ることもしばしばありました。


それは1992年のことでしたが、

当時カリスマ的な人気を誇っていた

ホイットニー・ヒューストンが宿泊しました。


当時小学6年生だったボクは

別になんとも思っていなかったのですが、


ミーハーな母が、ぜひサインをもらいなさい!

とけしかけてきました。


でも、会える時間が、ちょうどボクが

学校に行っている時間だったので、母から


じゃあせめて、なにかプレゼントをしないと!

渡しておくから!


と言われ、いや~別になんもないし…、

と渋っていると、母が自分の部屋を物色し始め、


これなんかいいんじゃない?

うん、これがいい!


と手に取ったのはなんと、


カッターで切り込みを入れられ、

そこに赤いインクが流し込まれてなんだか赤い筋のついた、

しかもちょっとだけ使われた「はた坊」の消しゴムでした。


いやいやいや!これはないだろう!

あのホイットニー・ヒューストンだよ!

これ、小学3年生だって欲しがらないでしょ!

つーか、オレがもういらなくて机にしまってたぐらいだし!


とも思ったのですが、まあ別にいいや、

と思い、別になにも言いませんでした。


で、自分のもとには、


dear ○○


と名前まで書いてくれた彼女の直筆サイン入りの、

彼女の顔がプリントされたTシャツとCDが届き、


彼女には、


カッターで切り込みを入れられ、

そこに赤いインクが流し込まれてなんだか赤い筋のついた、

しかもちょっとだけ使われた「はた坊」の消しゴムが

手渡されたのでした。


サンキューって言ってたわよ


と母は言ってましたが、

やっぱり止めればよかった…と、

12歳ながらにして思いました。


もう一度会うことができたら、

あの無礼極まりない贈り物のことを丁重にお詫びし、

できる限りのおもてなしをできたら、と思います。

ホイットニー・ヒューストン

ボクは昔、ヨーロッパに住んでいましたが、

父の仕事の関係で、ホテルに住んでいました。


ホテルの部屋を7つぐらいつなげた家なので、

広さ的にはぶっちゃけ豪邸です。


自分の部屋、姉の部屋、両親の部屋、

すべての部屋にユニットバスがついていました。


玄関脇にもトイレがありました。

なので、トイレが4つ、風呂が3つある家でした。

つまり、朝、洗面所で家族と顔を合わせることがないんだね。


リビングルームは元スイートルームらしく、

よくわかんないですが20畳以上はあったかと思われます。


でも、この4人家族はリビングにはほとんど行かず、

ほぼ台所で生活していました。全然じゅうぶんなので。


ホテルは上から見ると正方形の建物で、

その正方形の1辺をすべてつなげている感じなので、

廊下も15mぐらいあったんじゃないでしょうか。


高さも22階で、まあありえないところに住んでおりました。

ちなみに、もちろんカードキーです。


そこには10歳から住んでいたんですが、

4歳からそれまで住んでいた、

日本人がたくさん住んでいるマンションの方がずっと楽しく、

自分はちょ~イヤでした。

友だちと遊ぶには、親の車の送迎が必要でした。


しかも、通学時にホテルのロビーを通ると

いちいち挨拶しなきゃなんないので、


地下から抜けていってました。

とにかくめんどくさくて、まあよかったことは、

地下のおみやげもの屋に売っている、

あちらの国の無修正のエロ本を

こっそり買えたことでしょうか。


もしくは、

日本の本屋も入っており、

そこで売っている日本語の官能小説を

立ち読みできたことでしょうか。


両方とも、めちゃくちゃ記憶に残ってます。


で、ホイットニー・ヒューストンがどーしたかということですが、

長くなったのでまた今度。


ちなみに、この家はもうありません。


この前行ったら、

長期滞在客用のプレミアムラウンジみたいになってた。

なんか、すごくうれしかった。

小草井圭太さん

携帯電話会社の仕事で、以前、

海外でもそのまま使えることを

プロモーションする仕事がありました。


仕事というか、プレゼンがありました。


自分は最初は関わっておらず、

MさんとK君に誘われて入った仕事です。


Mさんは基本的に、

鬼のような形相をして丸投げするタイプなので、

K君とボクとで考えていました。


でも、基本的に、

鬼のような形相をして話すMさんと、

あまりおもしろくない営業の連中が考えたことが

そのまま企画になっていってしまうような流れで、


まあ別にこだわりもないので、

それをそのまま企画書に落としたろうかと思いながら

進めていました。


でもやっぱり、

出てきている案があまりにもおもしろくなく、

というか、誰でも思いつくだろこんなん、

というものばっかりだったので、


K君とプレゼンの仕方で勝負しようという話になりました。


そのプレゼン方法は、

とある日本人の旅行者「小草井圭太さん」が日本からハワイに行き、

行く先々でその携帯電話会社のサービスに触れ、

彼の目線でその便利さを表現していく、


という内容で、

その様子の画像などを活用して企画書にまとめる、

というものでした。


そして、その小草井圭太さんは自分が演じました。


アロハシャツにショートパンツ、

雪駄に麦わら帽子、サングラスに旅行カバン、


というテキ屋のような出で立ちで、

いろんなところでロケをしました。


「ハワイでハンバーガー屋さんに入った小草井さん・・・」

という場面のために、KUA AINAで撮影し、


「カジノで大勝した小草井さん・・・」

という場面のために、パチスロ屋に入って撮影し、


「空港に到着すると・・・」

的なところはうまい具合に合成し、


他にも、

自分の登場シーンは10ヶ所ぐらい企画書内にあり、

なかなかおもしろい出来になっていました。


プレゼン当日、

出席者は、クライアントはちょっと冷たそうな女性1人、

あまりおもしろくなさそうな男性2人で、


こちらは、

Mさん、K君、自分、営業3人ぐらいでした。

プレゼンテーターは自分でした。


自分は一度も会ったことのないクライアントでしたが、

この企画書なら大丈夫だろうと企画書を配り、


まずは、「あ、これ、あなたですか?あはは」という掴みを

期待していました。


するとどうでしょう。

クライアントはこちらを見ることは一切なく、

プレゼンがスタートしてしまいました。


「これ、ボクなんですけど、あはは…」

なんて説明することなど不可能なので、

そのまま、説明を進めました。


掴みで失敗しているため、

そのコミカルな、笑いながら進めてナンボの企画書が、

笑いどころか相槌もなにもなく、

ボク以外無言のまま進んでいくのです。


そう、こちらの人間も無言でした。


非常にツラいプレゼン、約20分間だったと思いますが、

とりあえず何事もなく終え(本当に何事もなく)、


さあ、なんて言われるんだろうと、

大きな不安と小さな期待を胸に

クライアントの質疑を待っていたところ、


「ところでMさん、この話とは別件なんですが・・・」


と、あろうことか別件の話をしやがり出したのです!

無視とかシカトとか、そうゆうことと言うか、

なかったことにされたのです!


どんな意図があったのかは知りませんが、

あんなに存在をなかったことにされたのは、

小学生の頃にもないです。


そして営業は営業でひとしきりその話で盛り上がり、


「じゃ、今日はこれで」


とその日のプレゼンは終わりました。

これは2年前の夏の話でしたが、当然、

いまだに連絡は来ていません。


ま、いいんだけど。




それより気になるのは、

この記事に「プレゼン」のテキストが出てくるもんだから、


この記事の下の広告欄に「勝つプレゼン!」的な

広告が入ってる!


いや~、

WEB2.0的なターゲティング広告技術を

こんなアホなプレゼン話にも活用していただいて、

ありがとうございます。

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