朝日新聞『司書・養護教諭の大切さ知って「教科教諭と仕事量に差」投稿に反響』を読んで。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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まず原則的には、労働の量と質に応じた給与が支払われるべきであるということを確認したい。
(担任を受け持つ)教科教諭が司書・養護教諭に対して「手が空いているなら、できることだけでも仕事をシェアしてもらえれば」と話すのは、いわゆる「多忙化」、職務範囲の無限拡大による教員労働の劣悪化に原因がある。教員間の分断が解消されないのは、労働の劣悪化への対応をとらず、協力して学校をつくっていく具体的な制度作りを実施しない管理職・教育委員会の責任である。記事にもあるように、仕事量が軽い代わりに「職場で発言権もなく肩身の狭い思いを抱えている」という、制度的な根拠に基づかない立場の高低差を認めてはいけない。仕事量を客観的に評価できないため、勤務の長時間化に歯止めが効かないからだ。時間単位の労働生産性という観点など、労働の評価を実施していく必要がある。
 
学校運営における意思決定過程の改善と、長時間労働への歯止めを進めていくためには、「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という雇用形態の分類が役立つ。濱口桂一郎(『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』) によれば、雇用の在り方は、職務も労働時間も勤務場所も契約で限定されない「メンバーシップ型」と、職務も労働時間も勤務場所も限定される「ジョブ型」とに大別できる。教員の労働を見直し、ジョブ型の勤務に置き換えていくことを目指すべきではないか。退勤時間を越えてから会議を始めるようなあり方は批判されていくべきだし、部活動指導についても教育における意義を明確化し、必要に応じて教員の職務として規定するべきである。仕事には当然、労働の量と質に応じた給与を支払うべきだ。