現在の問題 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

 この映画は、内容的にはカオスであり、メタには、世界の諸要素を余すところなくぜんぶ掬い上げようという「関心」の態度をもつべき、もてというメッセージだ、といえます。


 内容がカオスであるのは判明であると思います。たとえば、学校で唯一不良学生たちに関心を寄せ彼らの更生の方途を考えようと向き合った結果、修学旅行の積立金強盗事件の共犯として扱われクビにされてしまう教師の野呂、堕胎手術の費用のためにその積立金強盗を企てる不良女学生のタマ枝、不良学生たちの姉貴分でありコザ暴動の際に沖縄を追われ本土に逃げ込んだために戸籍を失い旅から旅のヌードダンサーをしているバーバラ、バーバラの恋人で同様に戸籍を失いいわゆる原発ジプシーとなり今ではヤクザの手先をしている宮里、知的障害のある娼婦で、足抜けをはかったためにヤクザから追われているアイコ、アイコの恋人で原発内で起きた転落事故の際に被曝したが過酷な原発労働の実態が公になることを恐れたヤクザに命を狙われる安次、日本語を話すこともできないフィリピン人の「じゃぱゆきさん」でありカップラーメンを食べられることが幸せなのだとされるマリア…と、ちょっとしつこいですが、まったくカオスです。105分という上映時間であるのに、主人公級に内面を深く描写される人物が5人も6人も登場するんですね。


 これはなんなのだろうとおもいます。生き生きと躍動する具体性に取り囲まれ、みんな戸惑うのではないでしょうか。ここではつぎのように考えてみたいとおもいます。この映画がカオスであるのは、まさにそうしたカオスを写し取ろうとしたからなのではないか。すなわち、現れる人々の存在を丸ごとすべて描こうとすること、そういう態度を選んだ結果がこの量感なのではないか、と。


 この映画において、現れる人々に向けられる執拗なまでの「関心」は、ある登場人物のとる態度と通じているように思われます。知的障害のある娼婦、アイコです。ヤクザどおしの抗争や被曝労働などの過酷なシーンが連続する緊張した本作品の中で、例外的に穏やかで静かな時間の流れる印象深いシーンがあります。人気のない砂浜でバーバラとタマ枝、そしてアイコが焚き火を囲い夜を徹して宴会をする場面です。そこでアイコは言います。私は今までに出会ったすべての人を克明に覚えているのだ、と。そうしてその人々の名前を親しげに挙げてゆくのです。



 このアイコはいわゆる「アホの子」なんです。快活で明るくて優しくて可愛い。なんで『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる生前の?目玉の親父みたいな恰好をしている泉谷しげるとくっつくのかよくわからないくらい、本当のアイドル、女神様みたいな良い子なんです。娼婦なんだけど、純粋さの結晶みたいな感じです。
 さらに、この宴会の場面には、サブリミナル効果のように、美浜原発で働く原発ジプシーたちの様子がさしはさまれるんですけど、これがすごく怖いんですね。放射能から身を守ってくれる防護服は、着た人の視覚と聴覚をも著しく制限してしまう、呼吸が苦しく、感覚が塞がれた状態での原発内における労働はほんとうに恐ろしい。そういう印象を受けます。
 そんな原発における被曝労働者たちのなかで、きっとアイコはほんとうに女神みたいな感じだったんじゃないかと思うんですね。あの感覚が奪われていく感じに満ちた原発で働く毎日は、明日のことなんか全然考えたくならない。もう浮かび上がれないどん底なんだ。酒やギャンブルで一時現実を忘れることで自分を慰めるしかない。そういう人々に対して、アイコは平気でにこにこと声を掛ける。
「アイコちゃんですよ~、ご飯食べた?」
ご飯食べた?という挨拶は不思議な力があって、ひとの心を開かせる効果をもつんですね。話が続いていくきっかけになる。もう食べたよ、なら、なにを食べたの、なにが好きなの、と続くだろう。まだ食べてない、食べる金がない、とかなら、それは困った、どうやったら食べられるだろう、というようにやはり続いていく。


アイコは、原発労働者たちにとっては、雇い主のヤクザたちとまったく反対の性質をもっています。
「名前」を大切にするアイコに対して、ヤクザは他人を「数」で処理しちゃうと思うんですね。要は工場、原発が滞りなく動けばいい。それを誰が動かすかなんてことはどうでもよろしい。原発の稼働には被曝労働が不可欠ですから、被曝なんてごめんだという「私」でさえなければいいわけです。ヤクザたちにとっては被曝労働者の個性なんていうものはむしろ邪魔です。ただ、これはもちろんヤクザが特別悪いというのではなくて、使用者一般にむけて言えることであって、たとえばぼくも普段から似たようなことをしている。


たとえばそれは、飲み屋で店員がどういう人間であるかなんてどうでもいいと思っている態度ですね。彼らのキャラクターが際立つことはむしろ宴会にとって邪魔でさえあるという意識です。消費者マインドが行き過ぎると労働者に対する扱いが家畜やロボットに対するものとおなじようになってしまう。ぼくは居酒屋アルバイトの経験を踏んで、そういう反省をしました。


 アイコはしっかりと出会った人の名前を覚えている。映画の観客にとっては、もちろん知らないそれらの人々のひとりひとりが、アイコの記憶を通じて、間接的に「かけがえのないひと」になっていく。「俺はお前に金を払ってるんだぞ。身を粉にして働くんだよ」という一方的で突き放した態度、無関心とは正反対であると考えます。


ヤクザは被曝労働者たちに対して無関心だし、労働者たちもお互いに対して無関心になりがちです。
 無関心というのは「お前のことなんて知らないよ」という態度ですね。「みる」にはいろいろあって、ぼんやりと眺めるのと観察するのとではまったく違うとよくいいますが、そのような分類でいうと無関心は、「視界には入っているけれど意識されない」という状態であるといえます。「虫けらを見るように見る」というのは、感情の変化をともなって、ある印象と共に対象を見つめているのであって、まだ一種の関心を寄せているわけですが、この「意識しない」というのはむしろそれよりも恐ろしくて、気が付かないということです。関心を寄せられない側から見ると、相手にとって私の存在はないのとおなじだということになります。


しかしなぜひとは無関心になるのでしょうか。これには二通りあるような気がします。
 まず、袴田冤罪事件の袴田さんの話で、彼はこんなことを話していたというんですね。医学的にはどうかわからないのだけれども、自分が無実だと主張しても誰にも信じてもらえない、お前はうそつきだというようなことしか言われないからうんざりして聞かないようにしていたらほんとうに聞こえなくなったのだ、と。
まさにこのタイプで、聞こえないようにしているうちに本当に聞こえなくなってしまう場合。都合の悪いことから目をそむけ耳をふさいでいるうちに本当に見えなくなる聞こえなくなるということは、私は「ある」とおもいます。
もうひとつは、防護服に身をつつんで原発内労働にいそしむような状況で、感覚が制限されて自分の目の前のことに意識が没入してしまうようなところに長くいた場合、関心をひろくする、開いていくような能力が減退してしまうのではないかとおもいます。そういう環境や仕組みがあるために、そこにい続けるうちに人々がそういう形に押し出されてしまう例です。



それは現代日本社会の風土病なのではないか、と考えています。さきにいった、消費者マインドの社会的な瀰漫ということがひとつあります。それから、街の建物がつるつるとしていっているという話です。これは話すと長くなるのだけれど、とりあえず東京の街並みが高度に商業目的化した結果、広告にとってノイズとなるものを排除する力を持ち始めているんですね。それを「つるつる」と言っています。場に意味や経験が滞留・付着することを認めないために、そこに生きる人々の時間、人生が貧困化しつつあると考えられます。消費活動以外の経験が場に付着していかないから、そうしようという意欲が減退し、ひとびとが自閉していってしまうという傾向が指摘できると思います。これはまさにさきの意識没入的な環境、仕組みの結果の無関心であるといえます。


この映画は、自閉していく、無関心な人々と、そういうひとを生み出す高度資本主義社会に対する抵抗の叫びなんではないか。映画に映っている風景は、最初私には「よそのこと」だと思われました。コザ騒動なんて言われてもなんのことかわからない。福島原発事故さえ忘れかかっているわけです。私は自分が原発を消費する側、労働者を搾取する側、ヤクザや政治犯などの危ない人々を排除する側、足を踏む側だと思っていました。けれどもそうではない。


そうではないというのは、ああ、そうか、関心をもたなくてはいけない、彼らに哀れみの情を投げかけてやらなければ。そういう「気づき」をこの映画を通じて得られました。そういう話ではないんですね。そこから出てくるのは、貧乏人は可哀想だな、えらい政治家の先生、どなたかあの人たちを助けてあげてください。せいぜいそんな程度の考えですよね。
映画の中とこちら側とは、時空を一にしている。「普通の人」であったあの野呂が映画の中にいるように、私たちはあまりにも簡単にあちらにいくことができる。
いや、さらに、映画の風景は「あちら」ではなくて足元にあるんです。すでに私たちはこういう状況下にとらわれてしまっている。はたして、目がかすみ口の聞けない閉ざされた防護服の中で、私たちは「関心」をもちうるのか。結局のところアイコは撃ち殺されたのである。この映画はそれを問うている。


生きる価値なんてものはなんもないんじゃないか

満足して何かに没入しているうちは間に合っている

いらんそんなもん

功名心、名誉心があるんじゃないか

社会的に、歴史的に、意味がある人生、世界に影響して、あなたなしではありえない未来を実現する

人類の未来に携わってんな俺は、という感じがあると、ああ、満足感ってことか

世界史を学ぶのは楽しいけど、べつに世界の形成に自分が携わっている必要なんかぜんぜんない

そんなもんどうでもいい

楽しく生きられればいい

おいしいものたべて、服とか音楽とか買って、旅行して、仲間と遊んで、それで死ねばいいではないか

ぷらぷらすること

会社勤めで枠にきっちりはめられること

それは視野が狭くなってしまうのではないか

まああるよね

それは公共でなくて没入しててだめだ

そうかな

うーん


泥棒して食ったっていいんだ

切実になってないんじゃないのか

だって目下死なねえんだもん

バイトしてればとりあえずはだいじょうぶじゃんか


何かが転倒している。たくさんのテナントが入っても、なにか満足できない。何か出来事が起きそうだという印象が持てない。オープン時には宣伝のために芸能人が遊びに来るイベントを用意している?そうではない。「芸能」人としてはじめから用途が整理・操作された「断片」としてではない人に会いたいのだ。わくわくとした冒険の予感、芽吹いてくる可能性の歌声、そういうものに囲まれたい。花壇に蒔かれたのではない種が芽吹いてほしい、聞こえないはずの声に誘われて存在しないはずの小道を抜け異世界へと冒険をしたい。すでにそのように決められているというのはまっぴらごめんだというのである。
 ではそのような場はどのようにしたら作ることができるのだろうか…?



金ほしさに人を殺すというのは悪いことか?

いや、やっぱり悪いことだと思う

殺されたくない

ラスコーリニコフみたいだ

金ってなんだ

殺人ってなんだろう

人生に意味なんかないのであれば、殺人にも意味なんかないんじゃないか

物取りの女房になってばあさんを殺すことは仕方がない?

観音様にぜんぶやってもらうことなんてだめなんじゃないか

そうじゃなくて、自分で物取りをして殺人をして稼げばいい

食うに困ってじぶんからやるのとあんまりかわらない

成り行き上仕方なしに

それはどんどん遡行する

成り行き上仕方なしに殺人をした

成り行き上仕方なしに物取りの女房になった

成り行き上仕方なしに観音様に願掛けした

成り行き上仕方なしに生まれて死んでいく

どんどん、運命に押し流されていく

立場上仕方なしにやってるひとってすげえつまんないよね


固有性、単独性、同一性

特殊性

条件付き承認

「肩書き」のもとに自分の存在を隷従させ互いに意味を承認し合う社会的生活はそれ自体が巨大な欺瞞であり原的な犯罪であると思った。私は恐ろしく孤独であり不安定であったが、他方で、「肩書き」という社会的紐帯を一切もたない底抜けの自由を深く愛していた。

同じ高さに位置する者同士においては、支配関係は成立しない。互いが互いに対して自由である。

支配関係にない者同士は互いに相手を拒絶・否定することができる。

拒絶・否定できる関係性にある相手は、とても恐ろしい。

ままならないからだ。

けれども、そういう自由な相手との間においてしか真の「愛」は発生しない。

私のことを拒絶・否定する人間は、私から遠い、距離をとる存在である。

相手の心の中が見えない。

どういうことを考えているのかわからない。

どういうことを考えているのか知りたい、自分のことを認めてほしい、肯定してほしい。

私は、「あなたの欲望しているもの」が、「私によって欲望されること」であることを願う。


悪とはなんだろうか

やっぱり支配ではないか

他人を支配して道具のように扱うことだ

じゃあ正義ってなんだ

正義なんてよくわからない

少なくともストイックはだめだ

人間文明の良さがぜんぶなくなってしまうから

浪費とか無駄とか遊びがすごい大事
しいて言えば、悪をくじくことだろう

支配を抑制することがある程度の正しさだとおもう


幸福ってなんだろう

金持ちであることか

食うに困らないことか

自由であることか

鵜飼の鵜であるより、ぷらぷら生きたい


名誉

功名心はよくわからない

いろんなことをやってみたいという欲求はあるけど、有名になりたいとは思わないんだよな

有名になることで、いろんな人が遊びに付き合ってくれるならそれはメリットと思うけどそれくらいだろ


威信

いらねえだろ

命令して、あるいは空気を読んでまわりのひとがいろいろやってくれても、そんなもの何の価値もない

一緒にだべって考えていろいろやったほうがおもろいだろ

威信を身にまとうと、本当に孤独になってしまう

バカボンドのほうがクール


財貨

ある程度あったほうがいい

お金は圧倒的によくわかんないな

すごい力があるのは確かだ

名前とおなじように、なにか、人を惑わす呪術的な力がある

いろんな学者が考えているけど、やっぱりよくわからない

マルクスやジンメルを読めばわかるのかな


人生の意味ってなんだろう

そんなものないんじゃないだろうか

振り返ってみて、いままでの人生に、外側からみて意味があったかないかなんてよくわからない

意味ってなんだ?

わたしにとって意味があるということ

誰かほかのひとにとって意味があるということ

集団にとって意味があるということ

ぜんぜんちがうのではないか

たとえば、宮川大輔が、癖があって、飛行機の中とかひまなときに自分のひげを抜くのが楽しいんだそうだ

親指と人差し指の爪で挟んでひっこぬく

抜いたひげをティッシュに並べていく

じぶんでも気持ち悪っとおもうんだけど、同時に、なにか快感のようなものがある

それは「意味」があるか?

意味はないし、何にもならないけど、なにか、満足、充実がある

じゃあ、就活で面接官に、人生のなかで充実した瞬間を教えてくれといわれて、「ひげ抜き」を話したらどうなるんだろう

たぶん落とされるだろう

就活がよくないのは、それまでの人生を、私企業にとって有意義か否かという尺度のもとで、一元的に評価しなお

そう、再配置しなおそうという試みを、受験者に強制するからだ

ひげ抜き的な人生があったとして、それでいいんじゃないかとおもう


だいたい、私企業に努めるかどうかなんてぜんぜん切実な問題じゃない

つまり、食えなくなるということではない

バイトして食っていけるよ

ただ、反論として、子供には教育費がかかるのに、それはどうするんだというものがある

それは僕の落ち度ではなくて社会が悪いんだろ

という居直りがまず可能だ

でも、そういう状況、与件に甘んじるんじゃなくて、政治運動をして変えていくんだということはあっていい

民主主義というのはそういうことだ

ぜんぜん、そんな発想は、反論者にはない

それってたんにバカでしょ


世の中を変えていくということについて

社会はおまえのリビングじゃないんだよ

まあそうだけどさ



フリースピーチ
こんなこともやっていいんだ
ふるまいをできる、してもいいんだ
示すことに意味があるのではないか


大学は何をする場所??
フリースピーチはうるさい、迷惑、おしゃべりできなくなる
大学はおしゃべりをする場所?
うるさくしたいなら戸山公園に行ったらいいじゃん


オープンキャンパス
知らない人と出会うことができる
予期せぬ出会い
そのほうが楽しい
→なぜ?
他者がいない世界はつまらないから
知らない人、予期せぬこと、期待予測を裏切る人
否定する、侵犯する、破壊する、空気を読まない人
文脈、規範、空気、決まり事

それは「悪い」ひと?

なぜ今日の社会では、早稲田では、そういう人がいないのだろう?
存在が許されないから、未然に排除されているから

リスクマネージ、保険
福祉国家は税金がかからないように健康を増進する、生かす活かす権力だ
管理監視社会
リスクを最小化する
予測不可能性を最小化する
顧客管理、健康増進、「家畜」化


生きてる実感
自分のこと、人生、生活してる空間に対する現実的影響力が基礎になっている
なんら影響力がないと実感が希薄化する
一方的に決められるのは嫌だ
許可なく文キャンを掘り返さないでほしかった
現実の環境に影響を及ぼすこと
対話、出会い


影響を及ぼすなら自宅のリビングでいいじゃないか
なぜ大学キャンパスにそれを求める?
当局がキャンパスを改変するのは、きみが自室のインテリアをいじるのと同じだ
生きてる実感の源泉を、きみは自分にはよこせといいながら当局には認めないのか?
ダブルスタンダードではないのか??
→キャンパスはどの程度私的な場なのか

大学キャンパスは公園のようなところなのではないのか
共有地、公共性?


学生は大学当局からお客さん的扱いを受けている
でも、勝手に決められること、変えられてしまうことに慣れてはいけない気がする
空き地に秘密基地がある
ボーリング場の建設のためブルドーザーに潰されること
生きている証をつぶされると怒りの声が湧いてくる
開発 経済 都市 計画 監視 管理


故郷、共同体を変えないでほしい、「心の故郷」
それはそれでキモイ
共同体主義か個人主義か
田舎は腐る

開放性と滞留性の両立は可能なのか

意味の付着を拒否するつるつるとしたところ
暗がり、隙間、淀み

個人主義
自己責任、評価主義、競争社会
敗北したらおしまいの椅子取りゲーム
孤独


で、田舎的コミュニティ、結みたいなのが成立するためには

ひとびとの交流圏と経済圏がかぶさらないといけない

一緒に商売することがすげえ重要なんじゃないかとおもう

食い扶持、たずきの道を共有していること

文化の条件だとおもうんだよね

意味が付着すると嫌がる、新品を求める消費者
無菌、清潔、脱臭、漂白、白紙
事故物件は買い手がつかない
処女的でなければならない
大学当局は意味の付着を嫌う
事故物件化を恐れる
「政治党派が他派の学生を拷問した教室」は未来の「グローバル人材」がドン引きする
だから潰す
大学はキャンパスを処女のままにしておきたい
箱入り娘を「守る」、「重い親」としての当局
悪い友達は許さない


意味の付着を洗い流す作用を止めなければならない
無意味化の作用を止める
滞留し発芽するための拠点を準備すべき
可触性=可変性を取り戻すためには、それを主張する人間も必要

借家権を主張しないといけない
そういう権利があることを知らないようにしている
すべてお上に決定されるものなのだと馴致されている
身体に刻み込まれている
とっさに反射的に頭下げちゃうんだよね
権利に気がつかせること

教授もちゃんと文句言えよ
昔ながらの倫理観、自治意識の喪失がある
それを回復しなくてはいけない


早稲田にこだわるのはやめよう

いままで考えてきたことは特殊早稲田的な問題ではない

全惑星的な問題だ

僕たちはわりに筋が良かったと思う

現代的な問題の「根っこ」に続いていく道をみつけたようだという直感がある


人間集団

反動性、嫉妬、弱さを舐め合い互いをがんじがらめにする魂の腐敗

完全にニーチェだ

セクトって難しいよな

目的の達成のために人間集団を組織することは一般的な事態だ

開放性と滞留性の両立は可能なのか


「私がここに居てもいい理由」を考えること

空気とキャラと承認の問題だよな

客観的基準が後退したあとの超越的承認システムは人間を病ませる

超越性自体が悪いのではない

客観的評価軸抜きで承認をめぐるゲームを動かすと、孤立を恐れたプレーヤーが面白いようにシステムへ依存していく

複数の居場所を形成していくことはサバイブのために不可欠


声が生成し出会い交響しするような力は、いまの早稲田にはない

今の早稲田に直接的に働きかけても、だめだと思う

どこにもないものをいきなり目の前に、奇術的に出現させるようなことはできる気がしない

いまの早大生諸君に働きかけても、だめだと思う



同様に、いま、日本は恐ろしい速度で劣化しつつある

面白い人間が減っている

いや、あるいは、この世界は、というべきかもしれない

いつでもないとき、どこでもないところ

ユートピアはどこにあるのか

どこにもない

別に天地の天地にあらざるあり、だ

宇宙をつくればいいのである

独立国家の作り方?スケールが小さいのである

宇宙をつくろう

宇宙船が目の前に降りたらきっと友達だって残し地球を飛び立つの、だ

僕はこの世界がどうなろうと知ったことではない

僕は僕の身の回りの人間たちだけが気分よく楽しく生きていければそれで十分なのである

そのためにはそれ以外のすべての人間に勝たなくてはいけないような気がする


古典的なセクティズムで、より革命的に純粋化するための「総括」が要求される


70華青闘告発

マイノリティ間の内ゲバ問題ってすげえ難しいよね

「共産主義革命より優先されるべき問題」の位置の椅子取りゲーム


故郷の喪失

母性、母胎、母なる大地

その喪失


都会の絵の具に染まらないで帰って


はじめっから故郷を持たない人はどうなのだろう


人間は醜いけれど、美しいものを生み出しうるはずだ

それをみなくてはいけない


恋人よ、君を忘れて変わっていく僕を許して


悪との対峙、私の内なる悪の芽。

しかしそうでなければ、いかようにも変わりうる、堕落もしうるのでなければ、この現在の、この特殊なまさにこの場所における私の生に何の意味があるだろう

誰かが代わって生きていってくれるだろう

そんな他人事の生にどんな輝きがあるだろう

私と悪とはつながっている

根源悪としての父殺し

父を殺し母と交わる

母、最初の他者、パーフェクトワールド、原的な恒常性の喪失


自己犠牲、捨身飼虎


相対して和す、和して同ぜず

如何に生きるべきか

如何に死すべきか


功名心


個か組織か

ひとりであることの困難がある

きみはひとりでいることができるか


あまちゃんとの話から

居心地の良さということを考えている

個からはじまるのでなければ、だめだ

みなが居心地良く過ごすことのできる関係性、制度は可能なのか

可能であればどういうものであるのか

私にとって理想とはなんであるか


私は、大学にあこがれている

それは、『もやしもん』やモリミトミヒコの小説世界のような、そんな大学、大学街にあこがれる

そこには、意味が満ちている

その曲がり角、その暗がりに、なにかが潜んでいるような気がする

まっくろくろすけみたいに、何かがちょろちょろと動いた

それを追っていくと、どんどんと不思議な世界に迷い込んでいく

そこではいろんな物語が起こる

出会いがある冒険がある

出会いがあり別れがあるのでなければ、「時」が私たちの意識に表れない

「時よ止まれ!お前は美しい!!」


意味に満ちた世界、人と人との関係が肥大化することを防ぐ、人と土地との関係

神の隣在、意味の満ちた世界

意味とは話の筋のことである

それがたくさん植わっているのでないといけない


ではそれはどうやったら実現できるのか

足るを知る

自分の場所に満足する

自分の役割をべたに演じる

制度、デザイン、設計、仕組みを作らないといけない?


生政治

健康でなければならない

保険、健康増進

無菌化

医療と介護

ターミナルケア、尊厳死、如何に死ぬべきかについて、答えられない

保険会社が始めた「ラジオ体操」

ひとりの「声」が多くの人を統制する

身体統制が精神の統制を実現する

実際、戦前、「ラジオ体操」のあとの番組は天皇のお言葉を伝える番組であった


保険とは、リスクの管理だ

リスクの入り込む余地を最大限排除する

失敗することを許さない

病や老いを許さない社会

アンチエイジング、美容

病人を、老人を選別排除する

「メタボリックシンドローム」という前‐病人、税金のかかる金食い虫予備軍規定

悪所を解体する

野宿者を排除する

性風俗街を解体する

広場や公園を商業施設へと変える

宮下公園、大隈象前広場、堅川河川敷公園、飛田


近代オリンピック

国家の尊厳を懸けて闘う戦争の代替

←技術の発達、とくに原子力が安易な戦争を困難にした

原子力の文化的利用!

原子力発電所という内へ向かう暴力

差別と排除、被曝労働者

「「東京」電力の原子力発電所」は福島にある

先富論、トリクルダウン理論の嘘

東京一極主義の欺瞞

自分としてやりたいことできることすべきこと
組織としてやりたいことできることすべきこと

結局どうしたいんだろう??
楽しく愉快に生活を送ることができれば十分だーと
楽しく愉快
面白きこともなき世を面白く

生活とは、衣食住か
労働、趣味
健康医療

すべきこと
君は何のためこの天下生まれ来たのか
人間としての完成

文化「あえて」の約束

暴力、差別、規制
近代の問題
現代の問題

ドラマ、物語性、筋

マルチ帰属
温故知新

宗教性と宗教
無限の欲望を戒めるもの
現代はエネルギーが環境世界のバランスを崩してしまっている

うまくバランスして協調、対立、発展しあう力学的均衡状態
⇔競争社会
隙間、ニッチ
鮎は産卵に浅瀬を選ぶ
川底を耕す必要がある

異質なものがぶつかる、出会い

中心⇔周縁
×放射状に伸びる整然とした街路、ツリー
○くねくねと蛇行、虫食い、多様性、リゾーム

謎、物語、筋がない、つまらない
機械論的世界観

意外さ、驚き、期待の裏切り

暗がり、隙間、淀み
隠れ蓑にしてろくでもない悪が横行する危険

独占でなくて寡占にする
多元は難しくても、三元ならばコントロールは効く
三権分立、三元鼎立世界

全然ウケないお笑い芸人のようなもの
怒りでも引き出すことができたのは大きな手ごたえ

そのへんに話らしい話の筋がある、埋め込まれている意外なドラマに満ちた世界
ネオリベ批判はやはり面白主義であるだろう
敵でさえ面白い
世界の無意味化=一元化
断片化し(フォーマット)、機械論的組織化をする
『電脳コイル』みたいな

収集癖、何が起きるかわからないわくわく
決定不能性
空き地、雑草、路地

風景の内にドラマ、ギミックを埋め込んでいく、植え付けていく
面白いもの、ひと、出来事が集まってくる
当たり前への挑戦、ずらし
格好いい、オシャレ、痛快

フリとオチ

英語力も、未知へとアクセスできる能力にあこがれる

なんでポケモンは面白いのか
話の筋の面白さ、ドラマが埋め込まれているから
競争、勝負に勝てるから
収集の楽しさ

特殊性=多様性、ヘンであることはいじめにもつながりうるが…
特異であること普遍的であること
無味無色無音無臭無菌

パーフェクトワールド、母胎回帰、他者なき世界
経験世界、失敗しうる、失敗できる、不完全、偶有
同時代性、後出しじゃんけんを軽蔑する
その場で発話されるから、意味がある
届かないことがありうるから跳ぶことに意味がある

勇気、無垢、子供、春、森
知恵、青年、夏、海
力、老人、冬、山
魂、贈与、愛、死者、秋、谷
様々な声の響くところ

特殊性による人生の意味はおかしい

アスカ(エヴァのほうな)の承認中毒

アダルトチルドレン

行動化、かまってちゃん、挑発

流動性、空虚さ

条件を満たせば他者は自分を承認してくれる

評価への過剰な依存、適応

行動、戦闘し続ける他ない

表層的承認へのこだわりが内面を空虚化する

他者からの承認とはべつに自分を評価する基準を持つ

他者からの承認よりも他者への承認を優先する

承認ゲームにほどほどに付き合う

承認への欲望は、欲望されることへの欲望だ