これは印象に終始するので聞き流してくれて構いません。
でも、たぶん人からそこそこ支持されるんじゃないかなーと
「客観的予測」(つまり、主観的願望ということだ)するので、
メモしておきます。
忘れっぽいんです。
ファッションについて語ったものは、だいたい、「パリコレの
モードの体系」とかさ、そういうむつかしいのを考察するか、
あるいは「ヤマンバ」「森ガール」「マリン」とかさ(それにしても
語彙が貧困である)ジャンルの研究しかないんじゃない?
総体としてのリアルファッションについて考えたものってのを、
ぼくは寡聞にして知らない。
…ってホントにあったりすんのかな。かもんたつお。
でも、ま、ここではないとして。
でも、世の女性諸賢は恐らくそういう現実から乖離した「ゆるふわ」
だけからその日の服装を決定しているのではない。たぶん。
そこの御仁、既存のファッション論ではリアル・ファッションを捉えることは
できないんじゃないのか!あなたもそう思いません?
(門外漢なので「既存のファッション論」なんて知らないわけだけど、
とりあえず勢いで仲間を増やす。)
リアルファッションの現場を精確に捉えていく為には、個人の「服装の決定」
の場面を考えていく必要があるのではないか。
しかし、美の評価のバイアスには激しい個人差があるために、街で見られる
「決定後」の服装を研究の対象としている限り、「個人の「服装の決定」」を
定性的に分析することは不可能である。
さらに「個人の「服装の決定」」は単一の原因に帰することができない。
「個人の「服装の決定」」は複雑系なのだ。
じゃあどうするのか。
ぼくが思うに、こうしたややこしい話を考えていくには、「足し算」ではまるで
追いつかない。ここで採用したいのは、「引き算」だ。
個人の美の評価、価値観を減点方式で表示できるようにすればいいん
じゃないか。「逸脱の度合い」で記録していくってことだ。
例えば、幾重にも重なるレイヤーを装置として用意する。
よくわかんないけど、とりあえず思いつくところで四つ。
01:流行性…既存のモードやジャンルの研究が活きるのはここだろう。
02:ブランド性…これはほんとうによくわからない。黴っぽいコーチのバッグ
よりキットソンの方がよっぽどいいと思うんだけど。重いだけじゃないの。
え、そんなことないんだって?わかんねえなあ。
03:機能性…これはぼくにもわかる。登山にミニスカハイヒールではお話に
ならない。や、まあそれはそれで?
04:TPO(習慣)…高級レストランに、ノースフェイスのザックに登山靴で
来られてもねえ。一体どこから来たんだってことになる。
かの益若つばさも、家の中では上下スウェットなんだそうだ。
それはファッションではない、という人もいるかもしれない。
違うな。部屋着や寝巻きもファッションなんだと、ぼくは思う。
堂本光一さんは家では全裸だぞ。ファッションではないとはそういうことだ。
寝巻きも部屋着も下着も、デザイン性を求める人がいる以上、現にすでに
立派なファッションじゃない。
ファッションとは「隠すべきものは何もないということを隠している」事態の
ことだ。だから、「葉っぱ一枚あればいい」のである。
結局ぼくが言いたいのは、「つーちゃんのスウェット」を語ることのできる
ファッション論が必要だろうということなのだ。