こないだ、「真央ちゃん先生はえらい」において、
ぼくなりにかんたんな師弟論を書きました。
□真央ちゃん先生はえらい
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10469334318.html
そこでちなさんからのご意見とご質問。
訳の分らないものを「敬して遠ざける」ことは、
「いやな人」(なんとなく合わない人ってどこにもいるものです)
の対処法としても使えそう。
「いやな人」を「師」と見立てたとき、ぼくらは「いやな人」から
何かを学べるか?
また、「そういう人にならないようにしよう」という風に反面教師
として教訓を引き出すことは「学び」か?
うむむ、むつかしい問いです。
ここにぼくの論のほつれが見えますね。
というのは、「学ぶ」というのは第一に「真似ぶ」ことであったから
です。
うーん、どうなんだろう。「私がされたくないことを人にしない」という
「真似ばない・学び」はあるんだろうか。
いや、たぶんそう考えたらどんづまりますよね。
だからここでは、あくまで「真似ぶ」点がどこかにないか、を
考える方がよいかもしれません。
及ばずながら考えてみたいと思います。
「いやな人」を「いやな人」たらしめているのは誰でしょうか。
わかりづらい言い方ですね。
誰か、人が向こうに立っていて、なにかを私にしかけてくる。
私はそのことを「いやなこと」だと思う。
そして、その人に指をさして(さしちゃいけないけど)「あ、「いやな人」
だ!」と呼んだとき、その人は「いやな人」となった。
「いやな人」を「いやな人」と評価したのは、「私」ですね。
でも、それって本当でしょうか。
いや、ヘンなことを聞いていますけれど、その人は本当に「いやな人」
なんでしょうか?
例えば、こんなシーンを考えてみてください。
私は、ポテチを食べコカコーラを飲んでいる。正に「酒池肉林」です。
そしてマンガを読みながら、ぐだぐだとテレビを観る。ちょっと器用です。
そこにお母さんがやってきて、「いつまでも遊んでいないで勉強なさい」
と言ってテレビを消してしまう。
これを私は、まず「いやなこと」、そして「いやな人」と評価します。
でも、本当は、長い目で見るとこれは私にとって「よいこと」、そして
お母さんは「いい人」ですよね。
このように、その人を「いやな人」と評価するのはまだはやいかもしれま
せん。即断即決という態度に抜け落ちているのは逆説的ですが「時間」
というファクターなんだと思います。
「敬意」という態度は、その点、評価を宙吊りにして「待つ」ことを可能に
する。それが、敬して、「遠ざく」ということの意味だと思います。
すみません、ぼく自身が混乱していたので質問と答えがかみ合っていま
せんね。整理します。
「訳のわからないもの」に応対するときには「敬して遠ざけ」よ。
そして、「待った」あとに、相変わらず「訳のわからないもの」が、
「私」には尚も魅力的に思われるなら、その人を「師」とせよ。
ということなので、たぶん「反面教師」という考えは、「敬意」や「師弟論」
では対応できないみたいですね。
でも、「反面教師」に学ぶ、という発想から得られるものは大きい。
精神衛生的な観点から言って、すごく有益です。
だからそのこともすこしだけ考えてみたいと思います。
「いやな人」が「いやなこと」を私にしてこれるのって、「いやな人」自身
は自分のしていることを「してもよいこと」と評価しているからですよね。
「いやな人」は、自分のしていること、つまり「自分」を「わかった気」で
いる。それがダメなんだとおもいます。
先ほどの「敬して遠ざける」態度からわかったように、評価はできるだけ
遅い方がいい。
当面は評価をしない、というのは、どういうことか、といいますと、
「わからないもの」を「わからないもの」として扱う、ということではない
でしょうか。
少しこじつけになりますが、「いやな人」から「真似ぶ」点を見つけました。
それは、「私」と「いやな人」の関係を、「私」と「私」の関係に適用する、
ということです。
「私」にとって、その人は「わからない人」です。この人はなんだか「いやな
こと」をしてくる人だな、と思うけれど、とりあえず当面は評価を凍結。
あくまで「わからない人」として接することにします。
「いやな人」は「自分がわかった気でいる」から「いやなこと」をできるの
でした。
ということは、「私」が「いやな人」にならないためには、「私」を「わからない
もの」として扱えばよいのです。
結論としては、すごく平凡ですけれど、
「私」が誰かにしてあげることは、良かれと思ってしてあげたことが反って
「いやなこと」と思われてしまうかもしれないし、反対に「いやなこと」を
してやったと考えていたら喜ばれてしまうこともある。
私のしたことがどう評価されるかはわからない、ということです。
すみません、議論がくねくねしてしまいましたが、なんとか
着地することができたように思います。ちなさん、どうでしょうか。