大竹しのぶさんが出演している富士通のケータイCMで、
「むずかしいことは、わからないけれど。
やさしいことならわかるんです」
っぽいセリフが出てきます。
これにはとっても共感させられました。
そういえば僕もそうだなぁ。
僕も何か新しい技術を「わかる」ことができたとき、
そのときには自分にとってもう、「なにやら難しいよくわから
ないもの」ではなくなっている。それはこわいおばけじゃなく、
ただの枯れ尾花だとカンパできているはず。輪郭もはっきり
くっきり、手で触れて、コントロールできるもの。
僕は実は、「難しいことをわかることができたことはない」
んじゃないかな、と思います。
新しかろうが、難解な言語でパッケージングされていようが、
それが「技術」である限りは共有できるし、キタナイ言葉を
使うと、結局はチンプだとちゃんとわかってるよ。
でも、それをおばけみたいだと怖がる気持ちもあるよね。
僕も小さい頃水が全く怖かったような気がする。
(まあ未だにカナズチのはずなんだけどね。)
慣れてないものは怖いし、めんどいし、実際今満足に生活
している僕にとってはそれがなくても別段困らないものって
思うのもとてもよくわかる。
生命の営みを「情報の伝達」という観点から捉えると、世の中
にはたくさんの「僕の知らないこと」が溢れているし、「わかる
人にはわかるけどわからない人にはわからない。わかる人が
僕の友人だ」というロジックは長続きしないものね。
それにゼンブ知ってたら、それは神様だ。
自分の居心地のいい陽だまりを小さく囲って、そこでなごなご
するというのも賢い処世術だと、思う。
それから、わかるを超えたところにあるのかな?「身につける」
ということは、「ちゃんと一人で取り扱える」ということだと
思うんだよね。
ちゃんとそのいいところ、わるいところ、他のものと比べて違う
ところを言うことができて、不具合が起きたときにどこに問題が
あるのかを探すことができる力が自分のものになっていないと、
実際的には使い物にならない。
「身についた」状態、その目安になりそうなことも書いとくよ。
その技術について、やさしいコトバに噛み砕いて、
何も知らない人、コドモにも相応の、その人に分かる程度の
質と量の説明をすることができるようになってたら、
多分その人はその技術を消化できたんだ。
そんなことを思ったんだよね。
で、そのCMは以下で観られますんで。
□携帯電話(らくらくホン ベーシックII) TV-CM動画
「やさしいことは、よくわかる」篇 - FMWORLD.NET(個人) : 富士通