ハタハタ考察♯02 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで


さっそく問題に取り掛かろうではあーりませんか


一 Aについて、「けわしい表情」に込められた母親の

心情について説明しなさい


A_ふり向いた俊一は、そこに顔をひきつらせている

母のけわしい表情を見た。



心情なんてどこにも書いて無いので、

やっぱり自分で妄想するしかないです。


①遭難後、祖父の遺体収容

父の捜索中。

の場面から

②ハタハタの報せ

の場面にかけて考える必要があります。


ここでは人が出て行って静かになった暗い家の中と

ハタハタの到来に沸く村の様子が対照的です。


村人の生と祖父と父の死。

そのままの対比です。

そして、どちらも海から齎されたものです。

受動的に生き死にが決まるのは、もどかしいし

僕はできればイヤだな・・・。




文字制限ないから自由に書いちゃえ。


夫の遺体の捜索が終わっていないのに、ハタハタの

到来に沸き立つ村人達の様子を見て、悔しいけれど

貧しい村で生きていく為なら仕方が無いと

「村の一員」として了解はするが、「妻」として、あるいは

「母」として同じ家の人間である息子までがそれに加わって

父の死よりも自らの生にすぐに目を向けて立ち直ろうと

するのは絶対に了承できないという思い。


「出るんじゃない」という強くて短い言葉は、母の気持ちを

そのまま表現してるように思います。


だからこの文の前半部分はいらないかな。

もうちょっと感情的、というか、ストレートな気持ちのように

感じる。


A.夫の遺体の収容すら終っていないのに、家族の一員の

息子までが父の死を忘れたように、生きる希望そのものの

ようなハタハタの大群の到来の喜びに目を向けるのは

「妻」として、「母」として、許せないという気持ち。






二 Bについて、母親が「深い悲しみ」と「たたかっている」とは

どういうことか、説明しなさい。


B_涙はみせないが、母は、深い悲しみとたたかっているのだ。



貧しさの内に、他でもなく生きるための漁で命を失った

祖父と父です。

そもそも生活がもっと豊かだったら「雪と嵐の中」、定置網の

取り込みには行かなかったでしょう。

母はきっとハタハタがもう少し早く来てくれていたら、と考えている

のです。今更になって何で来るんだ、とも。


残酷だと思うのは俊一と母はこれからこのハタハタに生かされる

という点です。父と祖父は死んだのに自分と息子はのうのうと

生き永らえる。自分が生きていることに罪悪感さえ抱くかもしれません。


ここでの「たたかっている」というのはやはり、

「村の一員」として村のことを優先しなくちゃいけないという考えと

「妻」として家にとっての優先事項である「父の遺体捜索」を続けなきゃ

いけないという考えを戦わせているのでしょう。


もちろん「個人的」には彼女は夫の捜索を続けてほしいはずです。

しかし村のためを考えれば、辛くても夫の死の悲しみをおさえて

貧しさの中で生きている者達の為にハタハタ漁へと目を向けなきゃ

いけないと考えている。



ホントにそうかな・・・。

確かにこりゃ理想のお母さんではあるけどさ。

違うような気がしてきた。



考えてみると、今俊一の家には

俊一、千代(妹だろうともさ)、母の三人しかいない。


(あと、じーちゃんも寝てるけどね。)


男手がないんだよ。全然。

俊一ヘタレっぽいしなぁ・・・。


今、「家」を切り盛り?というか舵を切らなきゃいけない、

切ることができるのは母ちゃんしかいない。


だから、悲しみを抑えて自分が家の「主」として

父ちゃんの代わりに立ち振る舞わなくちゃいけないんだ!

と思ってるんじゃないかしらん。



そう考えると一番も怪しい気がしてきたぞ・・・。



ちょっと考え直すね。チキショウメ!