3月上旬、朝晩の温度差がありすぎて、体感温度が定まらない。
とある日の夕方、若い人と話し込んでいた。
いきなり顔の左側から理由のわからない「シビレ」がはしる。
まるで、正座をしている時にいきなりおきる「シビレ」と同じ感じだ。
シビレている部分から徐々に感覚がなくなり、身体が「コンニャクを縦にできない状態」のように、ふにゃふにゃになっていく。
痛みがなく、身体が言うことをを聞かない。
自分の体にとてつもない異変がおきていることを感じ始める。
救急車で脳神経外科病院に搬送。
病名「脳内出血」。
まともな身体ではなくなった、と実感するのに数週間かかった。
肩から左がわの半身不随。
急性期病棟から回復期病棟に移った直後の真夜中の2時。
尿瓶から尿が漏れフトンが濡れた。
ナースコール。
私が漏れているというのに、駆けつけた看護師。自分は薄い手袋で分からない。
シーツ変えに同僚先輩が登場。
すると先に駆けつけた看護師が、私に対する態度が一変した。
「昼は一人でやってたのに!どうして夜はできないの!」と、いきなり責め始める。
つまり尿瓶から尿が漏れたのは自分のせいじゃない!と、先輩看護師に言い訳をしたいのだろう。
いきなりの変わりように、驚いた。
患者より先輩同僚に気を使うタイプの看護師なんだ、と自身を納得させ、(こんな人が弱い者イジメするんだ!)と、二十歳そこそこの看護師に、70歳の爺さんが夜中にブツブツ独り言、眠りに…。
ところが、その1時間後の3時。
またまた、尿をもよおし再びナースコール。
するとまた例の看護師、今度はドアをあけたまま。
「昼間は一人で、できたのだから自分でやってください!」と、つっけんどんに。
私は、後遺症で左側の耳も満足に聞こえないので、言ってることがよく聞こえてないのかと思い、
「尿瓶のセットをお願いします」と、申し訳なく、ボソッと。
しかし、個室のドアを開けたまま入って来ることもせずに、ドァの外から、「昼間は一人でやったのだから自分でやってください!」の一点張り。
すでに真夜中の3時半過ぎ。
脳内出血を経験した人なら、ほとんどの患者が経験するという、発症から1ヶ月内の急性期から回復期にかけておきるという「こんなになった身体が元になんか戻るわけが無い」、という「精神的絶望期」。
そんな時期の真夜中の情けないやり取り。
何が情けないのか?
尿瓶の中に自身の「モノ」をつまんで看護師に入れてもらう、ということをやってほしい、と70の爺さんが見も知らない若い看護師に放尿直前の限界をこらえて真夜中に数十分やり取りしているのだ。
我慢の限界と感情の限界で目がウルウルに。
私が一言「こんな押問答いつまでやるのですか?」と。
そんな私の懇願も虚しく、その看護師は、結局ドアを閉めて行ってしまった…。
放尿限界なので、仕方なく自分でやるも、麻痺で身体もおこせず、手も上手く動かせずほとんど漏す始末。シーツが濡れて寒い。まだ3月の下旬だ。
三度、ナースコール。
尿瓶を片ずけに来た例の看護師に、「漏れてますよね。」と、気を使って声をかけるも、無視。濡れた布団を抱えて行ってしまった。
―――🔺🔺🔺―――
ここで少し話を整理。
❶なぜそんなに尿をもよおしたのか?理由があった。
部屋の暖房が壊れており、設置してある移動式ヒーターの効きが悪かったからだ。
私は、大部屋を要求したが、暖房の壊れたその個室しか空きはなく、病院は料金は大部屋のままでいいと。
ところが、その日に限ってかなり冷え込んだ。麻痺した左側はまったく温度を感じない。つまり、身体全体がかなり寒い。
❷その夜の担当は、実は看護師ではなく、たまたま薄青色の制服の「ヘルパー」の2人だったということをあとで、知った。
その「尿瓶事件」があった日の朝、寝返りしたい。
ナースコールするとまた昨晩の例の看護師が現れると思い、自分で身体をうごかしている内に、ベッドからずり落ち、ナースコールの線を引っ張ってしまい、コンセントが抜けて、連絡は届かず、発見されるまで床に寝転んでいた。
「転倒!」
それは、「転倒」といい、病院としては家にまで電話で連絡をする、と言う「おおごと」らしく、来る看護師、看護師に経過を聞かれた。
私は、昨晩の「尿瓶事件」を「おおごと」にして欲しいぐらいだったのだが。
―――🔺🔺🔺―――
当然、翌日の朝、訪ねて来た、担当医や看護師長に昨晩のことを事細かに訴えた。
話しは、瞬く間に広がり、看護師さんたちから慰めの言葉、言葉。
私は、「謝罪」みたいなことを求めているのではない。
それから転院するまでの数週間、二度と顔を合わせることはなかった。
とある日の夕方、若い人と話し込んでいた。
いきなり顔の左側から理由のわからない「シビレ」がはしる。
まるで、正座をしている時にいきなりおきる「シビレ」と同じ感じだ。
シビレている部分から徐々に感覚がなくなり、身体が「コンニャクを縦にできない状態」のように、ふにゃふにゃになっていく。
痛みがなく、身体が言うことをを聞かない。
自分の体にとてつもない異変がおきていることを感じ始める。
救急車で脳神経外科病院に搬送。
病名「脳内出血」。
まともな身体ではなくなった、と実感するのに数週間かかった。
肩から左がわの半身不随。
急性期病棟から回復期病棟に移った直後の真夜中の2時。
尿瓶から尿が漏れフトンが濡れた。
ナースコール。
私が漏れているというのに、駆けつけた看護師。自分は薄い手袋で分からない。
シーツ変えに同僚先輩が登場。
すると先に駆けつけた看護師が、私に対する態度が一変した。
「昼は一人でやってたのに!どうして夜はできないの!」と、いきなり責め始める。
つまり尿瓶から尿が漏れたのは自分のせいじゃない!と、先輩看護師に言い訳をしたいのだろう。
いきなりの変わりように、驚いた。
患者より先輩同僚に気を使うタイプの看護師なんだ、と自身を納得させ、(こんな人が弱い者イジメするんだ!)と、二十歳そこそこの看護師に、70歳の爺さんが夜中にブツブツ独り言、眠りに…。
ところが、その1時間後の3時。
またまた、尿をもよおし再びナースコール。
するとまた例の看護師、今度はドアをあけたまま。
「昼間は一人で、できたのだから自分でやってください!」と、つっけんどんに。
私は、後遺症で左側の耳も満足に聞こえないので、言ってることがよく聞こえてないのかと思い、
「尿瓶のセットをお願いします」と、申し訳なく、ボソッと。
しかし、個室のドアを開けたまま入って来ることもせずに、ドァの外から、「昼間は一人でやったのだから自分でやってください!」の一点張り。
すでに真夜中の3時半過ぎ。
脳内出血を経験した人なら、ほとんどの患者が経験するという、発症から1ヶ月内の急性期から回復期にかけておきるという「こんなになった身体が元になんか戻るわけが無い」、という「精神的絶望期」。
そんな時期の真夜中の情けないやり取り。
何が情けないのか?
尿瓶の中に自身の「モノ」をつまんで看護師に入れてもらう、ということをやってほしい、と70の爺さんが見も知らない若い看護師に放尿直前の限界をこらえて真夜中に数十分やり取りしているのだ。
我慢の限界と感情の限界で目がウルウルに。
私が一言「こんな押問答いつまでやるのですか?」と。
そんな私の懇願も虚しく、その看護師は、結局ドアを閉めて行ってしまった…。
放尿限界なので、仕方なく自分でやるも、麻痺で身体もおこせず、手も上手く動かせずほとんど漏す始末。シーツが濡れて寒い。まだ3月の下旬だ。
三度、ナースコール。
尿瓶を片ずけに来た例の看護師に、「漏れてますよね。」と、気を使って声をかけるも、無視。濡れた布団を抱えて行ってしまった。
―――🔺🔺🔺―――
ここで少し話を整理。
❶なぜそんなに尿をもよおしたのか?理由があった。
部屋の暖房が壊れており、設置してある移動式ヒーターの効きが悪かったからだ。
私は、大部屋を要求したが、暖房の壊れたその個室しか空きはなく、病院は料金は大部屋のままでいいと。
ところが、その日に限ってかなり冷え込んだ。麻痺した左側はまったく温度を感じない。つまり、身体全体がかなり寒い。
❷その夜の担当は、実は看護師ではなく、たまたま薄青色の制服の「ヘルパー」の2人だったということをあとで、知った。
その「尿瓶事件」があった日の朝、寝返りしたい。
ナースコールするとまた昨晩の例の看護師が現れると思い、自分で身体をうごかしている内に、ベッドからずり落ち、ナースコールの線を引っ張ってしまい、コンセントが抜けて、連絡は届かず、発見されるまで床に寝転んでいた。
「転倒!」
それは、「転倒」といい、病院としては家にまで電話で連絡をする、と言う「おおごと」らしく、来る看護師、看護師に経過を聞かれた。
私は、昨晩の「尿瓶事件」を「おおごと」にして欲しいぐらいだったのだが。
―――🔺🔺🔺―――
当然、翌日の朝、訪ねて来た、担当医や看護師長に昨晩のことを事細かに訴えた。
話しは、瞬く間に広がり、看護師さんたちから慰めの言葉、言葉。
私は、「謝罪」みたいなことを求めているのではない。
それから転院するまでの数週間、二度と顔を合わせることはなかった。