image

 

 
 
ここ数ヶ月薄々と気づき始めたことがあります。

それは子育てが次の段階へとシフトし始めているということ。

 

そのきっかけは去年娘は進路について彼女なりの大きな決断から始まったように思います。

 
というのも私や娘の身の回りで起こることが変化し始めたのもその頃だったから。
予測可能なもの、全く予知できなかったものが次々と現れ彼女自身もですが私もその度に揺れました。
起こったことは喜びごとも多くありましたが時には「親」としてむすめを不憫に思ったり、同情したり対人関係やその他の現象に不安や怒りを伴ったものがやはり気持ちに引っ掛かりを残します。
 
ここ数週間にもやはり「現象」は起きていて、感情の波が一通り押し寄せてきた後に「なぜそう思うのだろう」「どう解釈すればいいのだろう」と気がつくと立ち止まることを始めていました。
 
そこでふっと湧き上がってきたキーワードが「子育ての過渡期」という言葉。
なんてこのはない、洗濯物を干していて急にシフトチェンジが始まっているのだと感じました。
 
お世話をすること、何かを伝え躾けること、子供と何かを楽しむこと。
今までそのような子育てが中心だったのですが今からは少し違ったものになるのではというぼんやりした感覚が体を纏っていました。
 
よく鳥の巣立ちに例えられることもありますが、実際我が家の庭に雛をつれたガチョウがやってきます。
親鳥の行動、子供の様子を見ていると本当に感心して彼らからの学びが多いことに気づきます。
 
卵の時には寝食も忘れるくらいに温めて雛を返し、そのあと大きな口を開けて餌を待っている子たちに必死になって餌を運んでいる親。
大きくなると子供たちをつれて湖で泳ぎを教えています。時にはなかなか岸から水に入れない我が子のお尻を嘴で突き水に入れているのです。
岸に着くと親がまず外敵がいないか様子を見、そのあと丘に誘導しています。水から上がれない子をまたもや嘴でお尻を上げて陸にあげたりしてます。
安全なところで草を食むことを教え、ある程度の範囲まで子供を自由にさせているのです。
その後翼のはためかせ方を見せ子供が空へ飛ぶ練習を見守り、最後は見送るんですよね。

 

 

 

 

翼を持ち上げはじめた子供に餌の虫を口まで運ぶ必要ないですよね。
ついつい「子供」として今まで接してきているから飛ぶ準備を始めている子供に対してトンチンカンなことをしがちだったのだと思います。
なのでそれを知らせてくれる一見「ネガティヴ」な現象が私の周りで起こっているようでした。
 
気づくまで久々にモヤモヤしていましたが、これに気がついたら「すーっと」気持ちが楽になり、その上子供がこの状況をクリアできる人間的体力がついたのだと頼もしく思い始めました。
 
 
******
ここ数年いろんな学び得る機会があり、私なりに辿り着いた答えがいくつかあります。
 
現在は心の奥底で自分が強く願い、思い描いていた通りの世界であるということ。
未来は本気でそれを望んでいるものならば自分で描くことが可能であること。
喜怒哀楽を起こす現象は最終的には自分の望んだ世界に最速最短距離で向かっている途中の景色であること。
そして最終的には全て自分にとってベストな道であること。
 
最近は起こる現象に強く、そして必要以上に長く引っ張られなくなりました。
楽しくって嬉しい感情も怒りや悲しい感情も全て気づきや、課題を明確にしてくれるもの。
私は往々にして負の感情が起こった時にそれを使っています。ネガティヴな気持ちをしっかり受け止めるとそこから大きなヒントが見えてくることを実感しています。
 
今の私の気づき&課題は
「見守ること、信じること、リスペクトして愛すること」
子育てを通じて自分自身にも当てはまる。そんなことを意識させられている昨今です。