ずっと、生きづらくて何が原因なのか分からなかった。

周りから『普通はこうだ』と言われる度、普通とはどの基準で言うのか?

それは貴方の基準であり、私の基準では無い。でも、それを言ったら相手の気分を害するから反論できない。


相手がイライラしてたりすると、無意識に自分までその空気に汚染されて気分が酷く悪くなる。

人混みに行けば、聞きたくなくても声が全方位襲ってきて人酔いする。


顔を見るだけで、その人が何を思っているのか知りたくなくても頭に入ってくる時がある。


それは、気にしすぎである…

もしくは、皆そうである。

そして、普通の人はそれを当たり前の様に処理出来て私が愚かだから出来ないのではといつも思ってた。


仮に人の顔を見て、相手の思惑が嫌でも入ってくるのが普通にあり得る事ならば、逆に何故人を傷つける言葉を平気で他人に吐くのか理解できなくなる。


『気難しい』

『もっと楽に考えれば?』

『考えすぎ』


そう言われても、自分では普通なのだ。


例えば、誰かに『いつもありがとう』と、何気なく言われたとしよう。


その時私の頭の中では下記の事が瞬時に浮かんでくる。

『何に対してお礼を言っているのか?』

『この人は私に対してお礼を言うことによって何の理があるのか?』

『何か疚しい事があるのか?それとも、それを言うことで好感度をあげようとしてるのか?』


上記の事を浮かんだ後に、自分が無性に下衆な人間に思えて来る。


最近は『どういたしまして➰(●´∀`●)∩』って、斜め右に首を傾げながらゆっくり微笑み上記の言葉を言う様にしてから大分楽になった。


言った後も、今の言い方は声色的に相手が不快に思わなかったか?

表情は大丈夫だったかな?

でも、雰囲気的に変な色は見えないから大丈夫…だよね??


他人との一言でここまで頭の中でぐるぐる考える。

それが、私の『普通』なのだ。


この文章書くのも、凄く悩んだ。

書いて誰かの目に止まり批判されたら…?


でも、その考えはすぐに消えた。

だって、こんな文章誰も見ないから


そう考えたら、気が楽になった。


何を書きたかったのか、まとまってないな…

でも、良いんだ。

書きたいことだけ、書いていこう。