さて今年も誕生日を迎えました。
一応、その日は休みを取るということが、
自分の中で恒例になっていまして、
今年も休みを取りました。
とは言っても、
特に何も予定はなかったんですが、
先週、近所のバーのマスターに、そのことを話したら、
祝ってあげるから来なよということになり、
行ってきました。
当日、入り口で、前のバイト先でお世話になった方と久々に遭遇してですね。
帰るところだったのに戻ってきてくださり、
店内にいた人も含めて、祝ってくださり、ありがたく、
久しぶりに賑やかな会でお酒を飲み、ハートフルな感じになりました。
ふだん、とにかく人と会うのが無理だとか、話をするのももう無理だとかばかりいって、
外に出られないがちの私ですが、
この日も家を出る前は、あまりエネルギーが、わいてなくて、誰とも喋りたくない、約束したからいかなくちゃ、なんで?と思っていたくらいなのですが、
お酒の力もあるのですけどね、
なんだか、今回、いい人に囲まれたので、自分でも不思議なくらい、自然と輪に入っているなあという自分を感じて、
帰り道には、首を傾げるくらいでした。
というのも、何か無理をして、違和感があるときの、首を傾げるのとは、少し違って、
どっちかが自分ではないとか、仮面を被っているというわけではなく、
これはどちらも自分だなあということで違和感がなかったので、
不思議な多面性だよなあ、って感心したりなどしました。
それから、家に帰って、ちょっと飲みすぎたので醒ましている間、
過去の出来事と、今日あったことと、
ふだん思い出さないが、ずっと心のなかにはあることと、
ずっと心のなかにいる"ひと"の声とが、
パチパチパチっと、
点と点が結ばれるようなことが起こりました。
これはうまく言葉では言えないのです。
何がとっかかりなのかは分からないものの、時々こういうことがあるのですが、
星と星がつながって、
ある星座の形が見えるのが、急にわかるように、
脈絡もないこと同士が、
あれも、これも、そうだ、全部同じだ、
「ああ、そうだ」
「ねっ、そうでしょう?」
と納得するのです。
ちょっと前にもそんなタイミングでブログを書いた気がします。
本当に、心の底までそれが落ちてきて、納得するのに、
言葉にならないようなことなので、
じゃあ、一体何に納得したのかは、
しばらくすると霧散して忘れてしまうんですよ。
さあ、これが酔っ払い特有のインスピレーションというのでしょうか?
笑
ただ、ひとつ言えることでは、
「祈り」というワードがあって。
なんとなく、
表現するなら、
あなたは祈りの仕方を知っている、
という感じでしょうか。
祈りというものは一般的に思われているよりも、
具体的な“行為”なのですが、
ただ、世の中にはそのやり方を知らない人がたくさんいます。
祈りたくても、やり方を知らない。
一方で、私については、
祈りを知っているのに、全然やらないでいる、というわけなんです。
なんだかんだと臆してね。
ただ、今回、点と点が繋がったことで、
今までより、もう迷いもなく、心配せず、祈りが"できる"よ、ということです。
今までは頭の中にいろんな懸念があったり、、
なんか定まっていなくて、足元おぼつかない感じだったけれども、
少し身が固まってきたのではないか?
そしたらもっと遠慮せず祈りをしていったらいいよというわけなんです。
自分の中にあるものはどんどん行為や習慣に変換していかなければいけませんね。
言うだけ言って済んだ気になりますからね。
ちょうど、今読んでる本にもそのようなことが書いてありました。
固まってきたものをもっと現実的に、具体的にしていく、
そういうことを今年の抱負にしときますかね。
まっ、すぐ忘れるかもしれません。
とりあえずいい日になってよかったなと思います。
読んでくれてありがとう。
S